脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

YouTube

2024年06月03日 | 三代目は見た
そこそこ有名な(?)ユーチューバーと知り合いになったが、分かり合えないなぁと感じた。
世代は同じ(私のほうがやや若い)
今までの人生に大きな差があった、という事かもしれない。

YouTubeを否定していないし、それで稼ぐ事も是である。
私も、仕事中はYouTubeを流している(見ていない。音源として楽しんでいる)
オリラジのあっちゃんのチャンネルは面白い。
これが学校だったら。

と話が逸れたが、ユーチューバーの話である。
あくまで知り合いの話だから、全てとは言わない。
「幸せそうに見えない」
これがホンネである。

稼ぎはソコソコ。
「旦那の給料より良い」そうだが、上を言えばキリが無い。

幸せそうに見えないというのは、数字に縛られていると感じるからだ。
この「数字」が、即ち収入であれば合点がいく。
稼ぎが無ければ生活ができない。最低でも〇〇までは! と考えるのは自然である。

が、詳しい仕組みは分からないが、再生数=収入では無いそうだ。
もちろん、再生数が多ければ収入も多くなるのだろうが、「50万再生と5万再生で、5万のほうが高収入という事もある」らしい。
だから「より高収入な動画を」となるのかと思いきや「50万再生」を目指すそうだ。
「多くの人に見てもらえている」という安心、いや「5万しか見ていない」という不安、不満なのか?
この感覚は、分かるような、分からないような。。

だから、再生数が目減りしてくるとテコ入れをする。
テコ入れ、要は「ヤラセ」だ。
知人は両親の見舞いというイベントを定期的に入れ、そこでの料理(おっと、これ以上は書けない)
そうやって、変化をつけねばならない。

が、ヤラセは難しい。どこか言い訳めいた動画になってしまい、かえって面白く無くなる。
そこで、日常のアクシデントを貯めておいて、誇張(編集)して定期的に出すようだ。
そのうち、私との対談も出るかもしれない(出ないかもしれない)

日常生活を切り売りして稼ぐ。
これは「稼ぐための日常を過ごす」と言い換えられ、とても息苦しそうに見える。
当人はともかく、家族は息苦しそうだ。
こどもが「転んで怪我をした」となると、カメラ片手に病院に駆け込む。
消毒と絆創膏程度の処置で充分な怪我でさえ、心配する母親と不安なこどもの絵にする為だ。
コロナ罹患など大歓迎だっただろう。

何のために稼ぐのだろう。
家族が楽しい人生を送る為だとしたら、このユーチューバーは間違っていると感じる。
自分のやりたい事をやっているだけ。
家族は「対価」として我慢を強いられる。

やっぱり分かり合えない。
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