脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

成功と失敗の定義 1

2018年06月29日 | 経営
ちょっと堅苦しいタイトルですが、お付き合いください。

「独立は成功だったか?」という質問を受ける事があります。
「大成功です」と即答できますが、「成功」の定義はなんだろう?という疑問も出てきます。
と、同時に「失敗」の定義も疑問という事です。

野球に例えると、バッターが、狙い玉を打ち損じせず、ホームランなら大成功。
ヒットでも、まぁ成功と言って良いと思います。

悩むのが、狙い通りではないのに、結果が良い時。
または、狙い通りなのに、結果が悪い時です。

完全にタイミングを狂わされたのに、運よく野手の間を抜けてヒットになった。
狙い球をキッチリ打ち返したのに、ファインプレイに阻まれた。

これが、勝敗を左右する場合もあります。

勝つという事が成功とすれば、ボテボテのゴロで打点がついてもOKです。
が、技術的には問題があり、「次に続かない成功」になると思います。

技術にこだわれば、ファインプレイに阻まれても、キッチリ打ち返したのだからOKです。
が、結果に問題があり「次のチャンスは無い」かもしれません。
負けてしまえば、次の試合が無い可能性もありますからね。

と、少し回りくどくなりましたが「結果だけ見て成功、失敗と評する事はできない」という事。
これを1つの定義として考えます。

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評価 6

2018年06月28日 | 経営
功績に対しての評価、行動に対しての評価以外に、組織人としての評価というものもありますね。

私は、俗にいう「呑ミニケーション(酒を酌み交わしコミュニケーションをとる)」が大嫌いです。
「酒が入れば本音が出る」というのは嘘だと思っています。
そもそも、会社組織内で「本音で語り合う」なんて妄想だと思っています。
(私の個人的な意見ですよ)

これを、上司は「組織をまとめるには」という理論で正当化していました。
強制であっても、呑み会を行うべきという事です。
私は真向否定し、参加しませんでした。
ホンネを言う以前に、会に参加しないのですから、評価しようがありませんね。
「アイツは従順ではない」という評価で終始します。

まぁ、これに関しては私の我儘。自分を肯定する事はできません。
が、これで終わらないのが「自分が正しい」と思っている人たちです。

私が脱サラして起業する時、「これからは呑み会くらいは出るようにならないと」「人の集まりに積極的に顔を出さないと」と、今までの私を、変える必要があると言われました。。。。。

で、私は全く変わりません。
呑み会??? カワイイ女の子がいれば行きますよ。
偉そうにふんぞり返ったハゲ親父しかいない席に、だれが望んで行きますか?(笑)
人の集まりに積極的に???
女の子がチヤホヤしてくれるなら行きますけど、名刺片手にペコペコしなければならない集まりなんて行きませんよ。

と、少し逸れましたが、私の考え、行動は、会社員として受け入れられないものだった、結果、評価されないという事ですね。
能力と正比例するという事では無く「評価基準に合うかどうか」という事です。

上司に言わせれば、私の独立は「失敗するのが目に見えている」でしょうね。

長くなりましたが、評価はここまで。
次は「成功と失敗の定義」を書きたいと思います。

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商売

2018年06月28日 | 経営
近所のラーメン屋さん。
と言っても、「ラーメン屋」という共通項があるだけで、オーナーは入れ替わっています。
数年前まで老夫婦が経営していたのですが、経営不振なのか、年齢的な引退なのかは分かりませんが、今はジャンク系のラーメン屋になっています。

近くに飲食店が多く、同じ通り沿い(1.5㎞圏内)にラーメン屋含め8店舗あります。
大型の公園があるので、休日はそれなりに人が増えますが、平日はこれだけの店舗すべてが満足な売り上げを確保できるとは到底思えません。

さて、数年前まで老夫婦が経営していたラーメン屋さんですが、いつも2~3組のお客様しかおらず、それも、おそらく常連客だけでした。
が、ジャンク系のラーメン屋になってから、昼時は並び客が出るほどの人気になっています。
立地条件からすれば、わざわざ食べにくる客が多いとは思えず、おそらく他の店に行っていたお客様を奪った形ではないかと思われます。

客数には絶対数がありますから、どこかが増えて儲かれば、どこかが減って経営不振になります。
常に奪い合いをするという事になります。
だから、他店には無いメリット、リピートしたいと思う工夫を「やり続けなければ」なりません。

ジャンク系のラーメン屋は、大盛無料、ニンニクトッピング無制限、アブラ増しも無制限と、これだけでも胃もたれしそうなメニューです。
さすがに毎日食べたいと思えないかもしれませんし、ニンニクがキツイので、仕事中は避けられると思っていました。
が、平日の昼はスーツ姿のサラリーマン、若い女性と、「ニンニク食べて大丈夫なのか?」と心配するようなお客様が多いのに驚きました。
(ニンニクの無いメニューはありません。サッパリしたものもありません)
流行なのかもしれませんが、並ぶほどの人気なので、それだけの魅力があるのでしょう。
繰り返しますが、老夫婦が経営していた時は、2~3組しか入っていない店(立地)ですから、内容が変われば客も変わるという証明だと思います。

で、そうなると、どこかがキビシイ経営を強いられていると考えます。
気になったので、日替わりで近所の店に回ってみると、、、、、

どこもガラガラと言う事は無く、ソコソコ入っています。
数日だけなので正確な比較はできませんが、記憶の範囲では「それほど客の入りに差は感じない」状態でした。

ジャンク系のラーメン屋から徒歩数分にある、台湾料理(まぁ、ラーメン屋ですよね)も、客が減ったようには感じません。
一番あおりを食うかと思ったのですが、「ラーメン屋のライバルはラーメン屋」という安直な事では無いみたいです。

と、、、、

知人に聞いたら、ジャンク系のラーメン屋がある通りと並行している道があるのですが、そちらにあるカレーショップが閑古鳥になっているそうです。
カレーショップの客がごっそりジャンク系のラーメン屋に動いたのか???
そんな単純な話では無いと思いますが、とにかくカレーショップが開店休業状態という程、ガラガラになってしまったようです。

数ヵ月単位で考えねば動向は分かりませんが、カレーショップが起死回生の一手を打つのか?
ちょっと楽しみです。

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評価 5

2018年06月27日 | 経営
上司から評価されない理由として「チームに合わない人だった」かなぁと考える事もあります。

これは、サッカーを見ながら感じた事です。
ボールを持って、相手陣内に攻め込み、自分のプレーで相手にボールを奪われた時、必死に取り返すように走り回る選手と、その場で悔しがって立ち止まってしまう選手がいます。
(作戦もあると思うので、個人的な問題ではないかもしれませんが)

チームとしてありがたい選手は、必死に取り返そうとする選手かもしれません。
技術不足、判断ミスがあったとしても、必死に挽回しようとする姿は応援したくなります。

私、きっと取り返そうとしません。
「次のチャンスには、こうやって仕掛けよう」と、再チャレンジに頭を切り替えます。
プレーの精度は上がり、得点チャンスは増えるかもしれませんが、周囲には身勝手なプレーと見えるかもしれません。

どちらがチームに求められているか?
それ次第で問われる行動が異なります。

会社組織に合わせた場合、前者は「失敗しても必死に挽回しようと努力する社員」、後者は「失敗にめげず(反省せず)能力を頼り再チャレンジする社員」です。

私は失敗を反省しないという事は無かったと思いますが、私がどうという事では無く、周囲にどう見えるかという点で考えると「アイツは反省しない」「図太いヤツだ」と見えたと思います。
さらには、自分の能力を鼻にかけ、上司の指示を無視する「スタンドプレー」も繰り返します。
ただ、得点能力は高いので、それなりに人気があります。

点を取ればいいのか? 取るだけ考えればいいのか?

前線から守備に走り回るFW選手を見て、自分を見つめ直しました。

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評価 4

2018年06月26日 | 経営
大きな山を征服する。なのに上司からは評価されない。部下には評価される。
さらに大きな山にチャレンジし、それもクリアする。が、同じように上司から評価されない。
次第に山に登る事をしなくなる。当然、評価は上がらない。。。。
これがサラリーマン時代でした。

私は、会社への貢献を「数字に現れる結果」で残そうと考えていました。
要するに「どれだけ黒字を残せるか」という点にこだわっていたという事です。

しかし、私より評価の高い社員に、どう見ても私ほどの黒字を残していない、むしろ赤字を出している社員がいたのです。
私や現場スタッフは「腰巾着みたいなヤツ」と見下していましたが、上司、経営者からは評価されている不思議なヤツでした。

どうして、私ではなく腰巾着のほうが評価されるのか?
今なら多少理解できます。

それは、腰巾着が会社(上司)の指示に従順で、誰よりも必死だったからです。
会社の指示に従い、必死に頑張った結果の赤字。
「この「指示」が間違っていたのだ」という結果になり、腰巾着は咎められません。
むしろ「ここまで頑張ってくれたのか」という評価に繋がります。

私は、赤字になると思った指示には、適当な行動しかしませんでした。
結果、大きな赤字にはならず、私が作った方法による黒字で埋め合わせが可能でした。
それが、会社にすれば「指示通り動かない、身勝手なヤツ」になり、少しの赤字も「必死に頑張らなかった結果」と、少々で食い止めたという評価ではなく「サボったから」になってしまったのです。

大きな山を征服するのではなく、「指示に従って遭難した」ほうが評価される。
そういう事だと思います。

脱サラして10年余り。
思考、見方が柔軟になったように思います(笑)
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