子供が大きくなり、教育費にカネが掛かるようになってきた。
年間、百万以上のカネが掛かる(らしい)
このカネは、どこから捻出するのだろう?
という「疑問」を、妻は持っていないようだ。
熟の夏期講習に10万単位のカネが掛かると知ったのは、先月の話。
行く事は、妻と子供の中では決定事項になっていて、カネの事は後回しだったようだ。
正確な金額は、まだ知らされていない。
(夏期講習は来週である)
10万単位のカネを「イキナリ」用意できる家庭がどのくらいあるだろう。
殆どの家庭が「夏期講習がある」「試験、受験に備える」という考えの元、少しずつ積み立てて確保しているのではないだろうか。
収入の多い、少ないでは無い。「備えておく」という計画があるかどうか、である。
ここで、私がカネの話をしたところで「だったら、私(妻)の貯金で払えば良い」と逆ギレされるだろう。
私が言いたいのは、そういう事ではない。
なぜ「備えておく」という考えは無いのか、なぜ「相談」をしないのか、である。
缶ジュースを買うのと同じような感覚では困るのだ。
何度か書いた事があるが、妻は家計簿をつけていない。
いや、最近はレシートをスキャンするアプリで「使ったカネ」は記録しているようだ。
しかし、家計簿をつけている方なら分かるだろう。
「使ったカネ」の記録には、大きな意味は無いのだ。
「〇万円以内」という予算をたて、その中で「達成できたのか」を考えるのが家計簿である。
ここが、小遣い帳との違いなのだ。
夏期講習は来週に迫っている。
まだカネの話は無い。
子供からあっても良いと思うが、それは「行くかどうかを決める前」である。
この内容は「カネ」の話では無い。
子供の将来に必要な経験なのか、カネを投資するに値する経験なのか、これを「親が話し合う必要性」である。
行くかどうか、行って良いかどうか「行かせてあげられるかどうか」私は相談すらされていない。
それで「カネだけ出せ」は、あまりにも悲しいと思うのだ。
年間、百万以上のカネが掛かる(らしい)
このカネは、どこから捻出するのだろう?
という「疑問」を、妻は持っていないようだ。
熟の夏期講習に10万単位のカネが掛かると知ったのは、先月の話。
行く事は、妻と子供の中では決定事項になっていて、カネの事は後回しだったようだ。
正確な金額は、まだ知らされていない。
(夏期講習は来週である)
10万単位のカネを「イキナリ」用意できる家庭がどのくらいあるだろう。
殆どの家庭が「夏期講習がある」「試験、受験に備える」という考えの元、少しずつ積み立てて確保しているのではないだろうか。
収入の多い、少ないでは無い。「備えておく」という計画があるかどうか、である。
ここで、私がカネの話をしたところで「だったら、私(妻)の貯金で払えば良い」と逆ギレされるだろう。
私が言いたいのは、そういう事ではない。
なぜ「備えておく」という考えは無いのか、なぜ「相談」をしないのか、である。
缶ジュースを買うのと同じような感覚では困るのだ。
何度か書いた事があるが、妻は家計簿をつけていない。
いや、最近はレシートをスキャンするアプリで「使ったカネ」は記録しているようだ。
しかし、家計簿をつけている方なら分かるだろう。
「使ったカネ」の記録には、大きな意味は無いのだ。
「〇万円以内」という予算をたて、その中で「達成できたのか」を考えるのが家計簿である。
ここが、小遣い帳との違いなのだ。
夏期講習は来週に迫っている。
まだカネの話は無い。
子供からあっても良いと思うが、それは「行くかどうかを決める前」である。
この内容は「カネ」の話では無い。
子供の将来に必要な経験なのか、カネを投資するに値する経験なのか、これを「親が話し合う必要性」である。
行くかどうか、行って良いかどうか「行かせてあげられるかどうか」私は相談すらされていない。
それで「カネだけ出せ」は、あまりにも悲しいと思うのだ。