脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

20ウン年前の話

2021年11月28日 | 昔話
ヒマだし、仕事も無いし(笑)
趣味と呼べるものが無いのに気づきますね。
が、こんな私でも、若い頃は趣味があったのですよ。

その趣味は「秘境巡り」です。

今のようにネットで何でも調べられる時代では無いので、雑誌に載っていない場所=秘境でした。
カメラ片手に険しい道を進み、怪しい場所を見つけるのが楽しかったです。
最近、この類のロケ番組が多いですよね。

で、見つけたところは誰に教えるという事も無いのですが、ある時、女性に話をしたところ「是非、行ってみたい」となったのです。
女性を連れて行っても大丈夫な場所を選び連れて行きました。
思いのほか感動してくれて、その後、お付き合いをする事になりました。
上戸彩さんに似ていたので「彩ちゃん」とします。

しばらくは、過去に行った場所を巡っていたのですが、だんだんとネタ切れしてきた事と、彩ちゃん自身が「新しい場所を見つけてみたい」となったので、それならと新規開拓を目指す事にしました。
色々な問題、アクシデントもあるし、繰り返しますがスマホはおろか、iモード(ガラケーでネット検索できる機能です。念のため)も無い時代ですから、探したから見つかるというものでもありません。
一人なら見つからなかった事も含めて楽しめますが、せっかくなら見つけたいですよね。
私は、旅行雑誌に載っているペンションなどに電話をして、いくつか情報を集めました。
(管理されていない町営の温泉とか、けっこうあるんですよ)

彩ちゃんも同じ気持ちだったようですが、対策は「神頼み」でした。
願掛け? いや、そうじゃないんですよ。

・・・・どっぷり宗教だったんですよ・・・・

身を清め、主(神の代行だそうです)に祈るのです。
私も一緒にと誘われましたが、適当な理由をつけて断りました。

私、宗教は否定していませんよ。むしろ肯定派なんです。
(歴史や政治と密接に絡みついているので、人類に不可欠なのかとも思っています)
ただ、非科学的な事、今なら「信仰が足りないからコロナに罹る」のような話をする宗教は否定するし、金集めもオカシイと思うだけです。

彩ちゃんは、何をするにも主の判断を仰ぐのです。
自分では、何も決められないのです。
で、主には私との交際も相談していて、OKが出ていたそうです。
私に会っても無いのに、私の何が分かるのか。。。。

最後の旅では、めぼしいものは見つかりませんでした。
結果、残念ながら、彩ちゃんとは最後の旅となりました。
優先順位が私より宗教だと知ったので。
旅の中で、いかに宗教を大切にしているかを語られ、何度も誘われました。

思えば、私をその道に誘う為の旅だったのかな。
そう思うと、とても悲しいです。

良い子だったんだけどなぁ。

また秘境巡りしたいとは思うのですが、今は何でも調べられるから、秘境にならなくなっちゃったし、予約なしで訪問しても対応してくれない施設ばかりなので、やりにくくなりました。
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比べる

2021年11月16日 | 昔話
私の父は、子育てを大きく誤解していたように思います。
子育てでやった事は「自分の苦労話をする」と「兄弟だけでなく、他人と比較する」でした。
愛情? 無かったとは言わないですけど、感じませんでしたね。
褒める事が無かったのではなく「興味が無い」のだから。

で、父が私と比較したのはS君。
S君は父の友人の息子で、歳は同じですが学校は違います。
S君は学業優秀でスポーツ万能。高校では甲子園出場を果たしています。

私がテストで「ちょっと悪い点」を獲ると「S君は満点だったみたい(事実です)」と。
で、私が満点だと「天狗になるな」
スポーツで表彰されても「オマエ一人の成果じゃないだろ(団体戦なので)」
*団体戦とはいえ、私個人が足を引っ張れば負けます。
予選で負ければ「S君は県大会に出る」
*S君とは競技が違います。

これ、正しいと思います?
小学生でも「他人と比べるな」と知っていますよ。
が、父は「オレが正しい」という昭和の頑固親父ですので、ずっと比べ続けましたね。

比べた結果、どうしたかったんだろ?
S君に勝ってほしかったのか?
スイマセンねぇ。期待に応えられなくて。
アナタのDNAを色濃く受け継いだからですよ(笑)
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K課長

2021年09月09日 | 昔話
サラリーマン時代、数少ない尊敬できる上司が、K課長でした。
とにかく「仕事ができる人」
その一言に尽きます。

ただ、チームワークという部分は薄く、自分の仕事が終われば同僚や部下を助ける事はありません。
「教えてくれ」と言えば、ある程度は教えてくれますが、初歩的な部分以外は教えてくれません。
今になって思うのは「教えてくれない」ではなく「教えられない」のだと思います。
天才的な閃きで動いている人は行動に理屈がありませんから、教える事が出来ないのです。

売上成績は常に上位でした。
さらに、私が尊敬しているのが「お客様からのクレームが少ない」という事です。
当時、「売ったら終わり」という営業が多く、無理な契約を獲っているので、後々クレームになる事が日常茶飯事でした。
何しろ、経験の無い職人を「安い単価で探し出し」施工させていたのですから、クレームは当たり前だったのです。
が、K課長は、熟練の職人に相応の単価で発注していたので、クレームは少なかったのです。
さらに、スケジュール管理も上手だったので、期日内にキッチリ完了していました。
(当たり前の事ですけど、当時は珍しかったのです)

ただ、K課長には致命的と言える欠点がありました。
上司にはある程度へつらいますが、同僚、部下には冷たいのです。
だから人気がありません(そこが、私に似ていたので尊敬していたのかもしれません)
仕事さえできれば良い、そういう考えだったのでしょう。

K課長は、その後、室長に指名されたのを機に退職しました。
室長、肩書は課長より上ですが、体の良い肩たたきなんですね。
課長は「能力給」ですが、室長は「固定給」なので、安定はするのですが、K課長にすれば面白くなかったのでしょう。

退職後、違う会社で活躍しています。
小さな会社ですが、K課長には合っているのかと思います。
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出世欲

2020年08月22日 | 昔話
サラリーマン時代の話です。
私、組織に馴染めなかったし、団体行動ができない性格ですので、社内のポジションを気にした事はありませんでしたが「自分の能力は、他人より優れている」という自信はありました。
テストの点数は私が一番上、そういうイメージです。
(事実だったと思います。技術、知識では大差がありました)

ある時、組織内に序列ができました。
今まで同列だったのが、上司、部下が作られたのです。
私、誰よりも優れていると思っていましたが、上司になったのは、技術、知識も無いヤツです。
(一番年長だったかもしれません。でも、年功序列は否定している会社ですので、それは関係無いかな)

上司になった途端、態度が変わりました。
これは仕方ありませんが、如何せん、実力が伴いません。
私と同じ事はできないので「上司の命令」として私に指示を出します。
が、私は納得できない事では動きません(これは今も変わりません)
でも自分ではできないので、「できない言い訳」を考えるようになり、現実から逃げ、結果的に組織を去る事になりました。

当時の会社は、実力の評価方法を知らなかったのだと思います。
だから、かわいがっている人にポストを与えたのでしょう。
明治政府が、薩摩、長州藩出身者で人事を埋めたのと同じです。
(薩長には有能な人材も多かったと思いますが、会津だって、ね)

これがあり、私にも出世欲が出ました。
「誰よりも高く」ではなく「無能なヤツの下で働きたくない」です。
結果、ある程度のポストは掴めたと思います。
(これ以上は望めないという所だったと思います)
自他ともに認める実力がありましから、部下に造反される事も無かった(と思います)
それより、部下よりも自分がやったほうが早いと、独断専行が多かったです。
(これも上司としては問題ですね)

出世にも色々あります。
半沢直樹を見ながら、サラリーマン時代に思いを馳せます。

半沢直樹みたいに、上司に無礼な態度、言動は、スカッとしますけど褒められたことではありませんよね。
でも、私、近いものがあったような気がします。
コメント (2)
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経営者として

2020年08月12日 | 昔話
親が経営者で、息子を跡継ぎにする場合、「親の七光り」という言葉が付いて回ります。
いい意味では無く、悪い意味で使われる事が多いのではないでしょうか。
だからこそ、息子には「敢えて」厳しく接する必要があると感じるのです。

ほかの社員と五分五分でも甘やかしていると言われるでしょう。
6対4でも甘い、7対3でイーブンといったところでは無いか、「厳しすぎる」と言われるくらいでちょうどいいように思います。

が、息子は「なんで俺ばっかり」となりますよね。
息子だから、逆の意味での特別扱いはキツイです。
年齢、能力が同じであれば「平等に」扱ってほしいと思うでしょう。

そうなると、明確な目標設定が重要だと思います。
親が、息子に「経営を譲る考えである事」そこから「五分五分では、周りが納得しないという事」を説いておくべきです。
また、息子が「そうまでしてでも、跡を継ぎたいと思う、魅力的な会社」である必要があります。
親子だから、という理由だけで世襲させるのは否定したいです。

私の見習い先は、五分五分ですらない、4対6、いや、贔屓目で見ても3対7で「甘い」ですよ。
(本音は0対10です)
それでは周囲が認めてくれません。
結果、息子が苦労するのです。

将来の苦労を無くすため、今、涙を呑んで苦労させる。
こういう勇気も必要だと考えます。

さて、我が家はどうでしょう?
跡を継がせたい? いや、正直、その考えは無いです。
でも「継ぎたいと思うような魅力ある仕事」でありたいと思っています。

もし継ぎたいと言われたら?
修行では無くトレーニング、研修、実地訓練と、分かりやすいプログラムと、「跡を継ぐ」ではなく、キャリアパスプランを組んで「独自で生きていく」教育をするつもりです。
これを「会社説明」で行い、ほかの仕事と比較してもらう。
これでいいと思います。


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