脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

重病患者にされる恐怖③

2024年04月29日 | ひとりごと
これが薬漬けにされるという意味か。
ようやく理解しました。
医者だって「商売的に」なんて思っていないかもしれないけど、薬を妄信する事と「直す事」だけしか考えていないのだと。

歳をとれば不調は起きる。
直そうとしても「若返る」事は難しい。
だったら「付き合う」という選択肢があったって良いハズ。

私は、家族や知人の助けもあって「自分の判断で治療を止める」という決断ができましたが、「自分の意思を強く持てない性格」だったら、一生、薬を飲み続けたかもしれません。

意思を強く持てない性格。
ここは深く考える必要があって、シンプルな言葉で言えば「人格否定」があります。
親から虐待されて育つと、意思を持つことが悪い事だと考えてしまいます。
そこで社会で生きづらさを感じ、精神的な病に「陥る」事もあると思います。
そこに薬・・・・
正しい治療とは思えません。
(薬で安心できる方もいると思います。それを否定するつもりは無いです)
こうやって、どんどん「薬に頼る」事になる=重病患者という定義になります。

本当に治療が必要な方もいると思います。
目に見える疾患で無い以上、この線引きは難しいのかもしれません。
が「日本は世界一、精神科病床が多い」というのが、日本=ストレスが多い国と定義するだけではなく、精神科に結びつけるフローに「欠陥」があるように思えて仕方無いのです。

治療(薬)をやめて1週間。
何の不調も無く、自死念慮もありません。
強いて挙げれば「メシが美味い」
人生、これで充分だと感じます。
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重病患者にされる恐怖②

2024年04月29日 | ひとりごと
再度、訴えるも「薬を中止するリスク」を説明されるだけ。
(自死念慮が発生するなどもあるようです)

ちょっと待て。そんな危険な薬を「たかが眩暈の治療」で飲ませたのか?
眩暈で自死念慮は生まれません。少し休めばいいだけなんです。
それを・・・・・

精神科の受診を決めた時は、眩暈に対する恐怖があったのです。
このまま悪化したら日常生活が送れなくなるのでは?
見つけられていない病巣があるのでは?
こんな「病んだ状態」でしたので、精神科の受診を疑いませんでした。

が、時間が経ち、友人も何らかの不調を抱えている事を知って「歳だから仕方ないか」と割り切るようになって、恐怖は薄らいだのです。
そこに薬の副作用。
さらには「治療中(服薬中)は車の運転を控えろ」という治療方針。
(治療は年単位です)

あれ? 何のために治療を始めたんだっけ?
不自由ない日常を回復する為だったよなぁ。
車の運転を避けろ? それが満足な日常か?

疑問はどんどん大きくなり、医者に「薬を止めたい(ほかの方法は無いのか?)」と伝えるも、前述のとおり、リスクが大きいと。

続きます
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重病患者にされる恐怖

2024年04月29日 | ひとりごと
精神科を受診して感じたのは「重病患者にされる恐怖」でした。
受診のキッカケは慢性的な眩暈。
耳鼻科、脳神経外科と受診し、そこから紹介される形で精神科に流れました。

受診を決めたのは私ですから、責任の所在云々を語るつもりは無いです。
ただ、受診=治療が必要というのは、ちょっと違うのでは無いかと。
私が扱う住宅リフォームでも「老朽化」がありますが、それが即ち「修理が必要」とはならないです。
商売を考えれば不要な工事も「専門家の意見」としてゴリ押しも可能ですが、私は否定派です。

修理したほうが良くなる。これは正しいかもしれません。
が「老朽化しているので仕方ない」と割り切っても間違いでは無いという考えです。

精神科に話を戻しますが、眩暈の原因は分かっていません。
そこで、精神的な病の「疑い」となりました。
すぐに薬が処方されたのですが、私には合わなかった。
眩暈の改善と思ったのに、強烈な睡魔、だるさで日常生活が送れなくなったのです。
これなら眩暈を放置するほうが何倍もマシでした。

それを訴えるも、薬の種類を変えるだけ。
「放置は良くない」と断言され、私も医者が言う事だからと素直に聞きましたが、やはり睡魔、だるさに襲われて中止。
ここで治療に疑問を感じました。

続きます
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好きに生きよう

2024年04月27日 | ひとりごと
いろいろあって、精神科を受診していました。
色々な薬物を勧められるがままに摂取するも、眠気とだるさに勝てず、自分の判断で中断。
医師に相談すると、また違う薬を処方。同じ事の繰り返しでした。

昨日、治療を打ち切る決断をしました。
薬を飲むと車の運転もままならない状態になると相談したら「運転を控えろ」と。
それでは社会生活が営めない。
自分の不調と天秤にかけても、そこまでして治療する意味が見いだせなくなったのです。

や~めた!

治療中は断酒していましたが、昨日、久々に呑みました。
呑みたかったわけでは無いのですが、日常に禁止事項があるのも耐えられなかったのです。
治療を止めた不安より、開放感が勝っています。


精神科を受診するって、けっこうハードルが高いです。
クリニックによるとは思いますが、受診自体は悪く無いと思います。
自分の症状を客観的に診てくれるからです。
ただ、治療方針は、1ヶ所で決めるのは危険で、家族にも相談したほうが良いです。
薬漬けとは言いませんが、薬を止めるリスクばかり説明されます。
これが恐怖観念になってしまえば、麻薬と同じだと思います。
薬に依存性は無くても「飲まなければダメだ」という考えになってしまうのです。

自分の症状と付き合えるか?
家族に協力してもらう事で、解決とまで言わずとも、ある程度の対応ができるのではないか?

私の場合、治療継続=社会人を止めるという事になったかと思います。
もちろん、薬が合う、合わないという体質もあって、私には合わなかっただけかもしれません。
「運転を控えろ」という指示も、気が弱い(弱っている)人なら従うでしょう。
そうやって、治療を優先するあまり「何のために治療しているか」が分からなくなってしまい、社会からどんどん距離が開いてしまう可能性もあったと思います。

この先は、自己流で治療する事にします。
これが正しいかどうかは分かりませんが「自分の人生」ですので、自分で責任を持って行動します。
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学ばない

2024年04月25日 | 三代目は見た
下請けを止めようと決めてから、今までのような「親切な対応」は止めました。
何度も書いていますが、電話に出なくなったのです。
コチラの都合は無視し、ダラダラ喋る。
気が付くと10分、15分と時間だけ奪われていくのですが、過去は「仕事に繋がるなら」と受け入れざるを得なかったのです。
少しずつ「見積依頼はメールかLINEで」をお願いする内、だいたいの人は応じてもらえるようになりましたが、一部、まぁ、●カなんですね。
メールで「電話ください」と送ってくるヤツもいたのです。

最近は「電話ください」のメールに「緊急以外はメールで」と返信し、その後は無視しています。
それで縁が切れればそれまでなんです。

で、これだけ「メールで」と言っても、電話してくるバ●がいるのですよ。
ホント、学ばない。
緊急でも無いし、それどころか、ただの見積依頼(断りますが)

完全シャットダウンしたいところですけど、過去、私が施工した現場の手直しなどもあるかと思い、連絡口は開けておく必要があります。
これがストレスですよ。
昨日も数回電話があって(同じヤツから)、夕方、メールを送った瞬間、また電話(無視したけど)
「メール送れるという事は、電話に出られるだろう」と勝手に考えるのでしょうね。
で、メールの返信は無し。。。。

たぶん、今日も電話があるのでしょうね。
出ないけど。
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