ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




本田屋酒店。葛飾区青戸1-11。2010(平成22)年11月21日

青砥駅東口から南へ50mのところ。青砥駅の東側は「青砥駅前通り商交会」が組織されていて、駅前を通る南北の通りは「青砥駅前通り商店街」と言っていいのかも知れない。商交会のHPには「昭和7年に京成青砥駅が完成し、商店が出来始める昭和16年に青砥駅前商店会が発足。大戦で活動中止の後、昭和24年5月に青戸駅前通り商交会として再開した歴史ある商店街」とある。
写真の本田屋は、右の方にコンビニの形態で店を出しているから、店舗を新しく造って、写真の店舗は倉庫か住居にしているように思える。建物は戦後まもなくの建築らしい。見ての通りの目を引く建物だから、ネット上でも幾つものサイトで取り上げられている。
歩・探・見・感>葛飾区本田淡之須町』に、梁に留められた横長の表札の写真が載っている。それには「葛飾区本田/淡之須町41/宇田川商店」と手書きで書かれている。本田淡之須町(ほんでんあわのすちょう)は1967(昭和42)年6月まで使われた旧住所。宇田川商店の屋号が町名からきた本田屋だったのか、とかってに想像してみる。



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なるけ明治屋。千葉県松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

馬橋駅(写真右)のすぐ前にあった呉服店。何十年と写真のままの状態にあったような感じだ。駐輪場の一角に建っているような感じだが、昔はそこに家が建並んでいたのだろう。失礼ながら真っ先に駐輪場になってよさそうに思える。
建物は平屋の店舗と、その後に平屋に2階を増築したような住居部分が付いている。昭和30年頃の建築に見える。「なるけ」は店主の名前なのだろうか。
2014年頃に取り壊されて、向かいのパチンコ店キングイーグルズの駐輪場になった。


なるけ明治屋。松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

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信濃屋洋品店。千葉県松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

常磐線馬橋駅東口から東へ行って、旧水戸街道にぶつかる交差点。角に大きな看板を構えた店があった。看板に「呉服洋品」とあるから老舗の呉服店だったような感じだ。撮影時では自転車預かり所になっていた。右の入母屋屋根の家が主屋で、その前に店舗を増築したのだろうか。主屋を見る限り、1960年頃の建築と見える。2022年6月に取り壊されてコインパーキングになってしまった。
駅前から写真の交差点まで、「馬橋駅前通商店会」の表示板がついた街灯があるから、馬橋駅前通り商店街だったのだろうが、今は組織は解散したようだ。旧水戸街道は「馬橋東口商店会」の表示板をつけた街灯があり、古くからの商店街だったわけだが、こちらも今は実体はないようだ。駅と旧水戸街道の間に、常磐線と平行に南北に「本通り商店会」がある。HPも持っている商店街である。



はりや電機、染谷時計店。松戸市馬橋。2010(平成22)年11月8日

信濃屋の旧水戸街道側の隣。はりや電機はエアコンの取り付け工事などを主な仕事にしているようだが、店頭でブラウン管テレビを売っている。値段がはっきり見えないのが残念。染谷時計店は後の主屋が古そうだ。「コンピューター視力測定」の宣伝文句がもはや古い。すでに閉店して感じもする。
この2軒は2014年に住宅に建て替わった。

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阿部製作所。台東区台東3-27。2008(平成20)年3月1日

佐竹商店街の西の裏通り。1986年の住宅地図では、角が「阿部製作所」、左が「三鈴金属」、阿部製作所の後に二軒長屋。最近、「アパルトモン新御徒町a館」(2022年3月築、2階建4戸)という小さい共同住宅に建替えられた。

阿部製作所から北へ1区画行くと東西の通りに出る。その向かいは竹町公園。その角に写真の銅板張りの家があった。商売をしていた家と思われるが店名は不明。2013年頃取り壊されてTimesのコインパークになってしまった。右の野村製作所は現存している。


竹町公園前の家。台東3-31。2008(平成20)年3月1日

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林カバン店。台東3–25
2003(平成15)年10月23日

小峯米店だった家の向かい側。1966年の住宅地図では、写真左の四つ角の角の家が「岩狭屋商会」、その右の銅板張り看板建築が「林カバン店」。
岩狭屋は「オリエンス御徒町」(2009年3月築、4階建)という小さなマンションに替わった。林カバン店はカバン店としての営業はとっくにやめていたようだが、2017年頃に「はやし亭」といううどん屋を開業した。その際、当然ながら1階のショーウインドウは取り外された。

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魚繁、小峯米店。台東区台東3-3。2008(平成20)年3月1日

西郷医院から西へ3軒先の並び。白い看板の家は「魚繁」という魚屋だった。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、出版:デコ、2013年、1800円+税)に昭和43年5月25日撮影の写真が載っている。その写真の看板には「鮮魚 御料理仕出し 魚繁」の文字が。看板は2011、12年頃に取り外された。
『昭和の東京』の写真には魚繁の右の家の看板がわずかに写っている。「いの一番」(うま味調味料)の袖看板のようで、「小峯米店」となんとか読める。

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千京商店。台東区台東3-3。2008(平成20)年3月1日

西郷医院の南にある二軒長屋。1986年の住宅地図に写真奥の方が「千京商店」としてあるが、撮影時では2軒とも住宅のようだ。



保刈工務店。台東3-3。2003(平成15)年10月23日

1枚目写真の手前の路地を抜けたところの横丁。写真左奥が「保刈工務店」で、1枚目写真の路地がその手前に開いている。写真右手の長屋に「サン・ファッション」の看板が残っている。写真中央の看板建築から右の3棟は再開発されて、「プレール・ドゥーク秋葉原2」(2008年3月築、12階建44戸)というマンションに替わった。

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星野硝子。台東区台東2-32。2003(平成15)年10月23日

清洲橋通りの佐竹通り南口交差点を西へ行って150mほどの交差点を南へ入ったところ。
星野硝子の割と大きい建物は、外観は改装されているが現存している。戦前築の出桁造りの家の前面を、たぶん戦後になって看板建築風に改装したのかと思う。ネットでは硝子食器製造卸としてあるのがあった。2階中央の文字は「食器類」らしい。今は看板もなく、廃業したのかもしれない。
星野硝子の後の看板建築風の民家はやはり正面は改装されたが建替えたのではないようだ。1966年の住宅地図では「倉庫」なので、星野硝子の倉庫だったのだろうか。その左の木造長屋はHTM(2007年4月築、5階建20戸位)というマンションに替わった。
写真右の矢代ビル(1995年9月築、5階建)は佐竹通り南口交差点に出る通りとの角にある。矢代ビルが「中村屋フードショップ」という看板建築長屋だったときの写真が『中村屋、新星出版社/台東2丁目』で公開してある。

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友愛診療所。文京区根津2-8。2000(平成12)年5月3日

言問通りの、文京区と台東区との堺の交差点から南へ130mほどのところ。友愛診療所の玄関がその通りに面していたのなら、写真は北と東の面が写っていることになる。古い航空写真では、同じ大きさの寄棟屋根の家が2軒つながるように建っている。1986(昭和61)年の住宅地図では西の方が「友愛アパート」、東の方が「友愛診療所」だ。1966(昭和41)年の地図では2軒まとめて「友愛病院」。1947年の航空写真に写っているので、戦前からある建物かも知れない。
現在は「エクセリア文京池之端」(2001年5月築、4階建48戸)というマンションに替わっている。玄関に張られているのは建て替えの告知板だろう。

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アザミヤ、尼ヶ崎剥製標本社。文京区根津2-27。2005(平成17)年4月2日

不忍通りの根津小学校入口交差点で根津観音通り商店街の入口。角の店は看板に「ワイシャツ専門」としか読めないが「アザミヤ」というワイシャツの注文制作の店。その左は「尼ヶ崎剥製標本社」だった家で、すでに弥生2丁目に移っている。ストリートビューで見ると、この2軒は不忍通り拡幅のため、アザミヤは2009年以前、剥製標本社は2016年に取り壊された。
『ベスト・オブ・谷根千』(谷根千工房編著、亜紀書房、2009年、2400円+税)には、アザミヤは「手作りのYシャツを作り続けて60年。注文して10日でできる。値段は5千~8千円。…」とある。昭和初年頃の創業なのだろうか。
「尼ヶ崎剥製標本社」はそのHPによると、主に「剥製標本・骨格標本を製作」している会社。1970(昭和45)年の設立だが創業は明治。『ベスト・オブ』(「尼ヶ崎科学標本社」としてある)には、看板のシーラカンスのレリーフの写真が載っていて、確かに観た覚えがある。
根津観音通り商店街になっている通りは、戦時中にその北側が強制疎開になった。アザミヤと剥製標本社の幅で、建物が取り壊された。戦後、また建物が建並んだ。『不思議の町 根津』(森まゆみ著、ちくま文庫、1997年、720円+税)には、商店街の渡辺肉店のご主人の語る商店街の謂れが記録されている。七夕祭り大売り出しの飾り付けをした前での集合写真が載っている。それには大きな看板に「根津観音仲見世通り」になっている。その写真ではアザミヤは「あみもの講習所」。

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