ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





築地市場1号館。中央区築地5-2
2017(平成29)年7月15日

すでに解体されてしまった築地市場(東京都中央卸売市場)を順次記事にまとめていくことにする。後回しにしておくと撮影時の記憶が薄れていって、どこを撮ったのだかわからなくなりそうなのと、ネットの情報も消されていきそうだからだ。写真は豊洲への移転が決まって、2017・2018年にあわてて撮ったごく最近のものが中心である。

写真の1号館は1階に飲食店が入った、4~9号館と共に場内の「魚がし横丁」と名付けられた区域。海幸橋門を入ってすぐ右へ行ったところだ。
飲食店は水神社(すいじんじゃ)の方から、吉野家(牛丼)、禄明軒(洋食)、トミーナ(イタリアン)、茂助(だんご、甘味)、木村屋(喫茶・サンドイッチ)、龍寿司、中栄(カレー)、岩佐寿し、ふぢの(中華)、勢(すし)に、長靴の伊藤ウロコ。

1号館の付近には、右に「D棟」(2階建てのプレハブ? 入居していたのは三輝、藤井商店、富士計器製造、大島屋など)、正面向かい側に「架設買荷保管所特1棟」(少し高くしたコンクリート床に屋根を架けたもの)があった。

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湯宮釣具店。埼玉県川越市元町1-1
1989(平成元)年9月18日

本町通り―初雁城通りと県道51号が交差するのが市役所前交差点。その南西角といっていいところにある、今は「手打ちそば百丈」の建物。
『首都圏 名建築に逢う』(東京新聞編集局編・著、2008年、東京新聞出版局、1429円)によると、釣具店では成り立たなくなって、はんこ屋に転向するも1997年頃に建物は売りに出された。百丈が開店したのは1998年。店主の友人が買い取ったのを貸してくれたという。その際、傷んでいた建物を修復して内部を改装したのでだいぶ費用が掛かったという。
『日本近代建築総覧』に「湯宮つり具店、建築年=昭和7年、木造3階建、外壁は銅板貼」で載っている。1999(平成11)年10月に国の有形文化財に登録された。
国指定DB>手打ちそば百丈(旧湯宮釣具店)』の解説文には「木造3階建て店舗併用住宅で、昭和初期建設の看板建築である。銅板貼りの壁面は破目地で、隅部を柱型風とし、各階の境に軒蛇腹を廻す。2階正面のエジプト風半円付柱、それぞれ意匠を変えたペジメント風の庇など、多彩な様式細部を巧みにまとめている」とある。
建築再生事例集>手打ちそば百丈』では「1930(昭和5)に湯宮釣具店として建設された」としていて、これが信頼性がありそうである。「半円柱のエジプト風付柱」の上部は「しゅろの葉の模様」だそうだ。

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居酒屋ひこ七。埼玉県川越市元町2-2。1989(平成元)年9月18日

一番街商店街(蔵造りの町並み)の、札の辻交差点の近くにあった洋風の家。写真右の家は「急式シート商会」で、現在は1階が「彩菓庵おおき」という芋菓子の店になっている。ひこ七との間に引っ込んで建っているのは「川越元町郵便局」。急式シート商会の右は札の辻交差点の角に「藤井屋呉服店」という看板建築(戦後の改装と思われる)の店があった。
2011年頃らしいが、藤井屋から写真左の空き地まで、急式シート商会の建物を除いて3軒の伝統的な町家建築に建て替えられた。藤井屋は「長峰園」(狭山茶)に替わったが、建物は建て替えたのではなく、元の姿に改装したものらしい。郵便局は蔵造り風の建物になった。明治期の町並みを復活させた、ということだろう。
郵便局の旧建物は『丸ポスト写真館>No.141』で見ることができる。

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大沢家住宅。埼玉県川越市元町1-15。1984(昭和59)年5月4日

一番街商店街(蔵造りの町並み)の札の辻交差点の近くにある蔵造りの家。川越の蔵造り商家というと、黒い壁と重々しい瓦屋根、金庫の扉のような観音開きの窓、というのを連想するわけだが、大沢家住宅はちょっと蔵造りには見えない。造られた年代が関係しているらしい。
『ウィキペディア』によると、「寛政4年(1792年)に近江国出身で呉服太物の近江屋を営んでいた豪商・西村半右衛門が建てた蔵造りの店舗建築」で「明治26年(1893年)の川越大火の焼失を免れた川越最古の蔵造りで、現存する関東地方最古の蔵造り」である。
一番街に並ぶ蔵造りの家は、明治26年の川越大火の後に、「小松屋」(大沢家)が焼けなかったのでそれに倣って蔵造りで建てたものだ。つまり大沢家住宅は川越では最重要な商家の建物といっていい。
建物の構造は「間口6間、奥行4間半。切妻造り平入り、桟瓦葺き。川越の重厚な蔵造りの中ではシンプルな町屋形式。総欅作りだが前面の人見の柱のみ松になっている(客を待つの意味)。1階の前面は下屋庇を出し、格子戸や土戸があり土間には防火用の用心戸まで備える。2階の前面は漆喰で塗り固めた土格子(どごうし)を一番外側に、漆喰戸、木戸、障子と三重の窓になっている」。
また「昭和46年(1971年)に国の重要文化財の指定を受け、また、平成元年(1989年)より5年間を費やし大規模な修理が行なわれ、創建当時の姿に甦った」ということだ。上の写真は復元工事をする前の姿。

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