ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





上:公文堂書店
神奈川県鎌倉市由比ガ浜1-1
2003(平成15)年10月25日
左:千葉屋肉店。由比ガ浜1-3
1993(平成5)年5月31日

公文堂(こうぶんどう)書店は由比ガ浜大通りの六地蔵から少し東へいったところにある古書店。入ったことはないが最もオーソドックスな古本屋といった感じで、間口からするとかなり大きい店だ。1940(昭和15)年の創立というから店舗もそのとき建てたものだろうか。公文堂の左の平屋の店は、現在は「株式会社可行道・可行道茶居」という店になっている。

2枚目の写真の「スピード・クィーン」というクリーニング店が、写真のままの構えで今も営業していて、場所が特定できた。そのクリーニング店が六地蔵交差点の角から二軒目である。「肉の千葉屋」の家は建て替わって今は「PuraVida(プラビーダ)」というプディックが入っている。

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鎌倉風月堂。神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-6。2003(平成15)年10月25日

由比ガ浜大通りの六地蔵の近くにあった洋菓子店・喫茶店。だいぶ前に廃業しているのだが建物は残っていた。それがストリートビューを見たら無くなっていて跡地はコインパーキングになっている。いかにも昭和初期のカフェーを想い起こさせる(実際には勿論、見たこともないが)デザインの正面で、なぜか自分が幼少期に戻ったような気分にさせる外観である。由比ガ浜大通りにある建物のなかでも最も好きなものだったから無くなったのは残念でならない。
ネットでの情報では、建物は1926(大正15)年の建築で、開店は1932(昭和7)年だそうだ。閉店したのは2000(平成12)年らしい。解体されたのはつい最近の2009年1月である。
『エリアガイド鎌倉』(昭文社、1995年7月)には「古風な店構えの洋菓子店。昭和7年創業で、甘さいっぱいのケーキは昔ながらの味がする。値段も150円からと安い。ティールームもあり、落ち着いた雰囲気が心地よい」と紹介されている。
シャッターが上がっていて1階の店の造りが判る写真がないものかと探してみたら、 『ピンボケきよじいの楽園日記>風月堂は昭和のかおり(2009.01.23)』というサイトが見つかった。営業時の写真ではないが実に貴重な写真で、ブログにアップしてくれた小野氏に感謝する。


上のマッチラベルは戦前、銀座にあったモナミという喫茶店のもの。中央通りの7丁目にあったが、銀座の喫茶店としてかなり有名だった店らしい。「竹川町」の町名は昭和5年3月に銀座に変更されている。電停の名前もそのときに「銀座7丁目」に変更されたのならマッチラベルも昭和5年以前のものと思われる。モナミの写真は 『daily-sumus>モナミ(2011.02.21)』というブログに、『カフェーと喫茶店』(初田亨著、INAX、1993年)から引用した写真が載っている。
大きさは異なるが外観は鎌倉風月堂と同様のデザインである。どちらかがそのデザインが気に入ってまねしたのか、店舗の図面集のような本があって、そこから選んだのか? また、建物が大正15年に建って、風月堂が開店したのが5年後の昭和7年だとすると、最初の店はどのようなものだったのだろう?

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田村自転車店。神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-2。2003(平成15)年10月25日

若宮大路の下馬交差点から由比ガ浜大通りへ入ってすぐのところにある店。ストリートビューで見たら、写真の建物は平屋の店舗に建替えられていた。店の奥に別棟の住居があるしい。商売は盛業中のようだ。写真の建物は戦前の(たぶん震災後まもなく)洋風に造った店舗だと思う。
ぼくが鵠沼に住んでいた中学1年の1956(昭和31)年にこの店を利用したことがある。はっきりした記憶ではないが、位置からしてこの店に違いない。その日、夏休みで我が家に遊びに来ていた従兄のケンちゃんと自転車で鎌倉にやって来たのだった。現在の134号線を走ってきた。当時は夏の日曜日などは渋滞するようになってきた道路だが、普段はそんなこともない。若宮大路へと曲がろうとする辺りで自転車のチェーンが切れてしまい、自転車屋を探してここまで来たわけだ。その後、鶴岡八幡宮などに行ったと思うのだがよく憶えていない。

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横浜税関。横浜市中区海岸通1。1987(昭和62)年8月9日

設計=大蔵省営繕管財局、施工=戸田組で1934(昭和9)年に完成した建物。全体のデザインはロマネスク風という。イスラム風のクイーンの塔に引きずられるせいかもしれないが、スパニッシュな感じもする。国の庁舎とは思えない華麗なというほどではないとしても、瀟洒な建物である。建設を担当した大蔵省の技師は下元連(しももとむらじ)と吉武東里(とうり)だが、デザインはどちらが主になってまとめたものだろうか。
大蔵省が関わった建物としては、総理大臣官邸、旧警視庁、旧自治省、大蔵省、文部省、旧特許庁など永田町・霞ヶ関の官庁舎がある。吉武は国会議事堂の設計の中心人物らしい。下元は首相官邸が代表作といい、警視庁、内務省、大蔵省などの設計に携わったそうだ。


左:1988(昭和63)年8月6日、右:1991(平成3)年7月28日

横浜税関の平面は長方形のひとつの角を斜めにカットしたような5角形で、そのカットした面の中心に塔を置いているからそこが正面になると思う。ただし『建築探偵術入門』(東京建築探偵団著、文春文庫、1986年)には「・・・海岸通りに正面を向ける。庁舎の東、新港橋ルートの入口が「税関西門」になっているのは、ここから東の大桟橋入口にかけて先代の税関庁舎(明治18年竣工)が建っていたからだ」という記述がある。



1988(昭和63)年8月6日

横浜税関は2001年頃から増築と保存の工事が始まり、2003年10月に完了した。増築部分は裏側になる県警本部のあるほうで高層にしていなので目立たない。上の写真はその裏側を記録したもの。

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三菱倉庫京浜支店西棟。横浜市中区海岸通2。1987(昭和62)年8月(2枚とも)

当ブログ前回の事務所棟を真ん中に置いて、倉庫が2棟建っていた。上の写真の西棟(ぼくがかってに付けた)は『総覧』の「三菱倉庫京浜支店、中区海岸通2-4、昭和4年、構造=RC4、設計=三菱倉庫建築課、施工=大林組、地下1階」に当たるのだと思う。
前回でも紹介した 『みんなでつくる横濱写真アルバム>kaigandori』にはこの倉庫の写真が、屋上の写真も含めて5枚掲載されている。運河の方からの写真もあって倉庫の全体の外観が判る。昭和30年頃に撮影された海岸通りからの写真では「進駐軍に接収されてボウリング場として利用されている倉庫。反対側は郵便局」というキャプションがあって、コカコーラと「BOWLING CENTE」の看板がかかっていて、壁の上端には「THE BASE POST OFFICE」の字が書かれている。大きな倉庫をこの二つで占領したとは思えないので、倉庫の一部を使っていたのだろう。



三菱倉庫京浜支店西棟

当ブログ前回の事務所棟は倉庫東棟の南西の角を切り取るようにしてはまり込んでいる。「kaigandori」の写真では倉庫本体は2階建てくらいに見え、海岸通りに面した写真の3階建てのビルは倉庫の事務室を入れているらしい。
「kaigandori」の写真に、倉庫の運河に面した荷揚場でSLが煙を吐いている写真がある。この線路は横浜税関の裏から新港橋の道路を横切っていったん 東西上屋倉庫に入り、切り替えして現在の汽車道へと入っていった。

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