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たまに行きます
(
とおる。
)
2008-02-28 00:09:10
佐竹商店街、商店街の雰囲気が好きなので、何かあるわけでもありませんがたまに行きます。
大江戸線の新御徒町の駅もすぐなのでかなり便利なところだと思います。
最近はハングルで書かれたポスターなどが張られた店が多いようですよ。
>とおる。様
(
流一
)
2008-02-28 09:49:33
なにがあるわけでもないけど、たまに行く」という言葉はけっこう強力です。私もたまには行ってみなくては、という気になりました。
懐かしい!
(
かほママ
)
2008-03-05 02:11:32
佐竹商店街、まだあるんですね!高校への通学路でした。雨の日は特に重宝しましたよ。。。上野周辺の写真も懐かしいです~
>かほママ様
(
流一
)
2008-03-05 13:21:19
当ブログへの訪問とコメントをありがとうございます。
佐竹商店街は20年前と比べて、アーケードの照明器具などは変わったようですが建物などはあまり変わっていないようです。周辺にも昔からあった家が意外と残っていたりします。
「懐かしい」といって見ていただけるとブログを続けていく意欲も出てくるので、これからもよろしくお願いします。
吉田屋呉服店
(
chats
)
2008-03-05 23:48:16
写真では洋服店のようですが、吉田屋呉服店は昭和50年位までは呉服専門店でした。○に源と書いた店の紋からマルゲンと呼ぶ大人もいました。
この呉服店では、お得意様の即売会を鳥越神社内の白鳥会館で行ったものでした。
卒業式に母親たちが黒羽織を着て出席していた時代のことです。昭和は遠くなりにけり、ですね。
>chats様
(
流一
)
2008-03-06 21:07:22
なるほど、吉田屋の看板に「マルゲン」と書いてありますね。
学校の式典に黒羽二重で、というのはもうほとんどないのでしょうね。普通に着物を着る習慣は、私の母親の世代までだったと考えています。皆さん85歳を越えてしまいました。
Unknown
(
謎だ!OHara
)
2008-03-23 09:38:26
仏壇屋(昔々は大きなテレビがあった喫茶店だった時期も)の隣の本屋のあたりに昔々懐かしい「貸し本屋」がありました。
大川時計店の向かい側路地の角は釣堀屋だった時代もありました。
今は高島屋洋装店の隣のトラヤ(文具店)くらいかな昔と同じ商売の店は・・
>謎だ!OHara様
(
流一
)
2008-03-23 11:44:01
貸本屋というと1960年前後の頃でしょうか。
あとう仏壇店はその古そうな建物が横丁から眺められて、ぼくは3階の丸窓に注目します。あとう仏壇店の横丁の向かいが、1986年出版の住宅地図で「軍人屋用品店」なのですが、気になる店名です。
貸し本屋さん
(
chats
)
2008-03-23 17:43:55
貸し本屋さんがあったのは、昭和40年代始めまで・・・だと思います。50年には若向きの洋品店になっていました。角にも洋品店がありますが、こちらは肌着類が主だったので、店主は違う人だと思います。
私の知っている「軍人屋」は、ごく普通の紳士用品店だったと思います。勤め人の少ない地域でしたから、スーツ類ではなく、ポロシャツとかセーターとかを扱っていました。
軍人屋
(
流一
)
2008-03-24 21:45:21
思いついて「佐竹商店街、軍人屋」でネット検索したら「台東区>横丁・商店街>佐竹商店街」に大正2年に竹町小を卒業された「前身座座長・中村翫右衛門」という人の思い出が載っていました。
「……子供心の印象に残っているのは、佐竹通りの軍人屋という呉服屋だった。屋根のところに、大きな八字髭をはやした軍服姿の大将が、日章旗をもって立っている看板で、大きく人のかたちに切り出してあるのが、下から見ると子どもの目に強そうに見えて、その前を通るといつも立ち止まって見るのだった。……」とあります。明治末のことでしょうが、関東大震災の前までのこととも考えられます。どうもその店が平成になったころまでは続いていたのでしょう。戦後の風潮に逆らって屋号を守り通したらしいですね。
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大江戸線の新御徒町の駅もすぐなのでかなり便利なところだと思います。
最近はハングルで書かれたポスターなどが張られた店が多いようですよ。
佐竹商店街は20年前と比べて、アーケードの照明器具などは変わったようですが建物などはあまり変わっていないようです。周辺にも昔からあった家が意外と残っていたりします。
「懐かしい」といって見ていただけるとブログを続けていく意欲も出てくるので、これからもよろしくお願いします。
この呉服店では、お得意様の即売会を鳥越神社内の白鳥会館で行ったものでした。
卒業式に母親たちが黒羽織を着て出席していた時代のことです。昭和は遠くなりにけり、ですね。
学校の式典に黒羽二重で、というのはもうほとんどないのでしょうね。普通に着物を着る習慣は、私の母親の世代までだったと考えています。皆さん85歳を越えてしまいました。
大川時計店の向かい側路地の角は釣堀屋だった時代もありました。
今は高島屋洋装店の隣のトラヤ(文具店)くらいかな昔と同じ商売の店は・・
あとう仏壇店はその古そうな建物が横丁から眺められて、ぼくは3階の丸窓に注目します。あとう仏壇店の横丁の向かいが、1986年出版の住宅地図で「軍人屋用品店」なのですが、気になる店名です。
私の知っている「軍人屋」は、ごく普通の紳士用品店だったと思います。勤め人の少ない地域でしたから、スーツ類ではなく、ポロシャツとかセーターとかを扱っていました。
「……子供心の印象に残っているのは、佐竹通りの軍人屋という呉服屋だった。屋根のところに、大きな八字髭をはやした軍服姿の大将が、日章旗をもって立っている看板で、大きく人のかたちに切り出してあるのが、下から見ると子どもの目に強そうに見えて、その前を通るといつも立ち止まって見るのだった。……」とあります。明治末のことでしょうが、関東大震災の前までのこととも考えられます。どうもその店が平成になったころまでは続いていたのでしょう。戦後の風潮に逆らって屋号を守り通したらしいですね。