ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




新常盤橋。中央区日本橋本石町4。1984(昭和59)年6月24日

新常盤橋は江戸通りの日本橋川に架かる橋で、大手町2丁目(写真手前)と日本橋本石町3・4丁目の間を渡している。写真奥のビルは新常盤橋交差点角の「協栄生命ビル」。その右に常盤小学校がわずかに見える。現在の橋は架けなおされたもので、1988(昭和63)年3月に完成した。
大正12年の関東大震災より前に架けられて、昭和末までに残っていた橋は都内ではごく少なく、新常盤橋はその貴重な橋の一つだった。『東京の橋』(伊東孝著、鹿島出版会、昭和61年、2200円)では、「三 新常盤橋―ファサード保存と橋の拡築」という節を設けて述べられているので、紹介する。
新常盤橋は1920(大正9)年3月に架設された3径間(3連アーチ)のコンクリート造アーチ橋。「円形で抜いてある高欄や橋灯をかねた石の袖柱、および帆船の船首をモチーフにした(と思われる)橋脚の水切りに特徴がある」。『帝都復興事業誌 土木編上巻』には、「復興事業によって架設された橋で、1927(昭和2)年12月着工、1929年2月竣工」で、建築費が他と比べて非常に安いのが気になる、という。『日本土木史 大正元年~昭和十五年』には、関東大震災で「クラウン付近に河川方向に亀裂をみたが、十分に安定状態にあって墜落の危険は絶無…」とある。そこから筆者は外観保存しなが拡築したのではないか、と考える。解体工事中の現場へいって調べると、橋は下流3分の1程度拡築されていた、と分かり、土台の松杭の状態から橋の架かっていた場所の地盤のよさを確認する。
ストリートビューで日本橋川をいく船から撮った画像がある。それを見ると現在の橋の4本の親柱から、川との間の柵に、旧橋のコンクリートの欄干が使われているようである。


『東京の橋』より
キャプションは「特徴的な新常盤橋の高欄と水切りデザイン」

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