ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




旧油惣商店。千葉県香取市佐原イ503。2003(平成15)年7月20日

撮影時は佐原(さわら)市で、2006年3月に小見川町(おみがわまち)、山田町(やまだまち)、栗源町(くりもとまち)と合併して香取市が発足した。住所は新住所で表記するが、佐原市が香取市佐原と変わっただけだと思う。
旧油惣(きゅうあぶそう)商店は、香取街道の、小野川に架かる忠敬橋のすぐ下流の河岸にある。佐原市街の中心といっていい場所だ。旧町名だと「新橋本」。
「旧油惣商店」の名称だが、元は油惣商店だったが商売をやめたので「旧」をつけたのだか、元々、旧油惣商店という店名だったのか判然としない。あるいは新旧の旧の意味ではないのかもしれない。
千葉県>旧油惣商店』によると、「江戸時代中期の寛政年間(1789~1801)に佐原の町の中心部である現在地に移り住んだと伝えられ、江戸時代には酒業や奈良漬けの製造を行い、明治になってからは、東京へ運ばれる米・砂糖・下り酒を扱う問屋を営んできた」という商家。『るるぶ&more.>旧油惣商店』では、「寛政6年(1794)創業の旧油惣商店は江戸中期安永9年(1780)、本地において酒造業を始め、その後寛政年間より佐原で初めて奈良漬を始めている」とある。

店舗は「間口3間半、奥行き5間半の大きさで、明治33年(1900)の大火の後に再建されたものである。木造2階建て、瓦葺寄棟造の建物で、間取りなどは建築当時の特徴を良く伝えている」(『千葉県>旧油惣商店』)。「寄棟妻入の佐原では珍しい総2階の建築」(『るるぶ&more.>旧油惣商店』)。
土蔵は「切妻平入の2階建て、桟瓦葺で屋根裏を含めると3階建ての建物で、梁には、「寛政十戌牛歳九月立之大工佐吉立之」と墨で書かれており、寛政10年(1798)に建築されたことが判明している」(『千葉県>旧油惣商店』)。佐原では最古の土蔵になるしい。



旧油惣商店。2003(平成15)年7月20日

ストリートビューを見ると2012-2015年では、東日本大震災での損傷を修復するためのものと思える工事の足場(店舗)とシート(土蔵)が架かっている。現在の外観はその修復によるものと思える。土蔵の前の下屋に格子戸が取り付けられ、シャッターが黒漆喰の壁に替わったりしている。

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