ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




川越両替店の並び。中央区日本橋人形町1-11。1987(昭和62)年2月22日

前回の菊水軒の南のブロック。写真左から、峰島輪業、川越、民家、旧伊勢崎釣具店、旧深井医院。出桁造りをアレンジしたような川越の建物は、銅版ワークの店名のレリーフと変わった形の電灯が目を引く。
江戸時代は、上方は銀貨、江戸は金貨が主に使用され、両者が取引決済するには両替商を必要とした。両替商は三貨(金・銀・銭)の両替・売買のほか、為替・預金・貸付など、銀行のような業務をしていた。(『江戸東京学事典』(1987年、三省堂刊)参照)。
それでは川越の商売はどんなものだったのだろう。お金を崩すだけで店舗が維持できるものだろうか? 金貸しもやっていたのかもしれない、などと思っていたが、『東京路上細見2』(林順信著、1987年、年平凡社刊)に詳しく書かれていた。
それによると川越商店の業務は、水天宮のお賽銭を小切手を切って預かってくる。銀行が休業している日曜日、三越からつり銭用の小銭が足りなくなりそうなので、と電話がかかる。米相場で儲けた成金が博打に使う新札がほしいと言ってくる、というような按配だったらしい。明治9年、東京米穀取引所が蛎殻町に設立され、その辺りは米屋町という俗称で呼ばれたが、そういう立地条件もあったわけだ。戦後も何年か営業していたという。



川越商店。1987(昭和62)年4月29日

店にはいつも現金が大量に用意されていたような感じだが、窓の鉄格子や引き戸内側のシャッターなどは一応の対策なのだろう。
玄関中央の表札は「日本橋区蛎殻町二丁目七番地二川越與三次郎」。

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コメント
 
 
 
川越君^^ (くまです)
2017-01-22 15:46:27
同級生でした
頭が良くて、おとなしい感じでした^^
 
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