ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




三田商店東京支店。中央区日本橋小網町17。1996(平成8)年5月6日

日本橋川の江戸橋と鎧橋の間を、北に入っている東堀留川という掘り割りがあった。旧石神井川の河口部にあたるもので、自然河川の跡を利用した掘り割である。敗戦後昭和24年8月までに戦災残土で埋め立てられた。三田商店のビルの裏側はその東堀留川だった。
三田商店のビルはきれいに改装されていて、そう古い建物には見えないが、1930(昭和5)年に建ったもの。『中央区>近代建築物調査>株式会社三田商店東京支店』には「辰野金吾と建築事務所を運営したことで有名な、葛西萬司の建築作品として貴重」「堀沿いの建物であり、堀に対して正面性を持ったデザインとし、護岸が設けられていた」「創建時は水平庇をまわす初期インターナショナルスタイルの典型的建物であった」と説明されている。
三田商店は、本社が盛岡にあるセメント、ガラス、住宅設備機器などを販売する会社。1894(明治27)年に「三田火薬販売所」として創立した。東京支店を置いたのは1901(明治34)年で、現在地の向かい側(日本橋区堀江町4)という。
創業者の三田義正は、貴族院多額納税者議員(1922-1925)を務めた。1926年、旧制岩手中学校(現・岩手中学校・高等学校)を創設。1927年頃、現在の盛岡市菜園・大通り商店街の基礎をきずいた(ウィキペディア)。つまり盛岡の名士である。設計者の葛西萬司は盛岡市の出身だから、三田義正とはつながりがあったのかも知れない。


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