ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




左:ゆかり接骨院、右:よしだ整体院。葛飾区金町6-8。2019(令和元)年6月27日

JR金町駅南口から国道6号(水戸街道)の間に広がる商店街を「ベルシティかなまち」という。以前は「すずらん通り(すずらん商店会)」と言っていた。すずらん会が発足したのは1956(昭和31)年。当時は駅の南側に住宅地が広がり人口も多いのに比べて、北口は「大東紡績金町工場(金町モスリン工場)」と農地が目立ったくらいだったのかもしれない。金町駅は南口しか改札口がなかった。
従ってすずらん商店会は繁盛してきたのだが、しだいに北口も市街化が進み、1967(昭和42)年に金町駅北口が開設、1968年に金町駅前団地が建設され、北口の商店街も発展してくると南口の商店街は衰退してくる。その対策として1980(昭和55)年に商店街のメインストリートにアーケードをかけ、駅前の入り口に「BELL-CITY」と書いたアーチの看板ゲートを作った。入り口から入ると、通りは南から東へ向きを変えて国道6号に出て終わる。ベルシティと改称したのはこの時だろう。しかし残念ながら効果はほとんどなかったようだ。
現在は金町6-2の再開発により、2009年6月に「ヴィナシス金町」という高層マンションが建ち、ベルシティ商店街は半分がなくなった。ヴィナシスとベルシティの間には広い道路が通されたから完全に分断されたと言っていい。最近までベルシティの通りにあった「ベルシティかなまち/Bell City Kanamachi」の街灯は撤去された。すずらん商店会は解散したのだろうか。



左:金町眼鏡店、右:太陽堂整骨院。金町6-9。2019(令和元)年6月27日

空襲にはあっていないが、ベルシティに残る古い店舗に戦前築と思われる建物はみかけない。昭和30年代にはこの商店街は繁盛していたというから、その利益で競って建て替えてしまったのだろうか。駅前広場の東、金町6-11にある古い庭付き1戸建て平屋の住宅2戸が戦前からのものかと思われる。
1962(昭和32)年の住宅地図から、今でも続いている商店は5店ほど見つかった。「石塚バーバー」「大関電気」「まことや洋品店」「金町薬局」「長谷豆腐店」。
写真はどれも商店街のメインストリートの中程にある店。『表の家>金町南口商店街の行く末はいかに?』は2006年の商店街を記録している。そこでは、1枚目の「ゆかり接骨院」は「つるや洋品店」、2枚目の「よしだ整体院」は「大塚薬局」だ。ゆかり接骨院の左の床屋が「石塚理髪店」。4枚目写真の太陽堂の左が大関電気。太陽堂の右奥への路地を入ったところに長谷豆腐店がある。



北海ジャンボリア、まことや婦人服店。金町6-7。ストリートビュー、2013年7月より

2016年頃に取り壊された銅板張り風の商店。戦前築の看板建築だったかもしれない。壁に「安田」と読める字が残っている。安田生命金町営業所だった。今は「ブランヴェール金町駅前」(2017年9月築、5階建て14戸)という小さなマンションに建て替わった。
隣は金町薬局(左)とまことや婦人服店で古くから続いている店。まことやの右(西)に「金町映画劇場(金町東宝)」があった。地図でみるとずいぶんと小さい映画館だったようだ。1970年代に閉館したと思われる。

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