ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





小田原聖十字教会
神奈川県小田原市南町2
2011(平成23)年11月24日

写真の教会は国道1号の、箱根口交差点とJR東海道線のガードとの中間辺りを南へ入ったところにある。昔は諸白小路(もろはくこうじ)といった横丁だ。小田原聖十字教会はこじんまりしたかわいい礼拝堂で、付属の花園幼稚園が奥にある。教会のHPによると、1909(明治42)年の設立で、現在地(当時は十時町3-541)に教会を建てたのが1918(大正7)年。それが関東大震災で倒壊し、建て直して1927(昭和2)年1月12日に落成したのが現礼拝堂という。『神奈川の近代建築探訪日本聖公会小田原聖十字教会』には内部の写真が載っている。「吊り行灯風の照明と格天井のせいで、かなり和様に見える」そうで、「半八角形の採光たっぷりの明るい祭壇」というのは確かに珍しいようだ。
また、花園幼稚園は1916(大正5年)の設立で「…谷崎潤一郎の長女鮎子、北原白秋の長男隆太郎、三好達治の娘松子らが花園幼稚園に通い…」と教会のHPにある。とりあえず、この3人の小田原での住居の場所と年代を調べてみた。
谷崎については『東京紅団>谷崎潤一郎の小田原、箱根を歩く』による。小田原十字町3-706に転居したのは大正8年で、1年10か月ほどの間住んだ。その間「小田原事件」を起こしている。その家は現在の南町2丁目の小田原文学館の西隣にあった。
「白秋童謡館」という建物があるが、それは田中光顕伯爵別邸の和館である。白秋は大正7年から15年まで伝肇寺(小田原市城山4-19)に洋館を建てて家族で暮らした。そこで多くの童謡を書いている。
三好達治が小田原に住んだのは昭和14年から19年で、場所は小田原聖十字教会の向かい側だ。「For You」というカフェの前に「三好達治旧居址」の碑が立てられている。

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