ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




国鉄本郷保養所本郷閣。文京区本郷2-35。1988(昭和63)年2月21日(3枚とも)

壱岐坂通りと春日通りを結ぶ道路に面していた。写真てまえの方、向かいには有名な福士邸がある。
正式には電柱の看板にあるように「日本鉄道共済組合本郷保養所/本郷閣」というのだろう。大きい会社や団体は観光地や別荘地などに似たような名前の施設を持っていたりする。広い庭を持つ日本家屋だったり、古い西洋館だったりするが、実態はどういうものなのだろう。
国鉄の共済組合というのが国鉄の労働組合と関係があるのかどうかも分からない。保養所という名前の通り、病気の職員がここで静養しているとはとても考えられない。たぶん東京に出張してきた幹部の宿泊所なのだろう。
たてもの応援団」の「素敵な建物たち>旧十河信二邸」には『元国鉄総裁で新幹線の生みの親・十河信二の自邸で、昭和12年に建てられた。(中略)戦後の一時期進駐軍に接収され、返還後は国鉄の保養所「本郷閣」として利用されたが、保養所が閉鎖された後、解体された。』ということである。
撮影時に見た感じは、外観はきれいで、そう古い建物には見えなかった。



本郷閣の門



十河信二(1884-1981)は第4代日本国有鉄道総裁(1955-1963)。桜木町事故で引責辞任した島秀雄を復帰させて東海道新幹線の建設に取り組んだ。三河島事故(1962.5.3)や新幹線の予算超過の責任を取る形で、新幹線開業前に国鉄を辞めている。(「ウィキペディア」を参照)
西條の人」の年譜には、『1934年:満鉄退社。1935年:興中公司社長に就任。1937年:林銑十郎内閣の組閣参謀長就任。1938年:興中公司社長辞任。』とあり、十河が邸宅を建てたとされる1937年には、満鉄が設立した興中公司の社長だったかもしれない。

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