ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



大倉商事ビル。中央区銀座2-3。左:1997(平成9)年4月13日、右:1987(昭和62)年3月15日

並木通りに面して建っていた。横長の窓などの外観は銀座7丁目の電通ビルに似ている。昭和10年代の建築ではないかと思う。大倉商事が入居したのがいつのことか分からないが、それ以前の「中島ビル」といった頃は「富士フイルムKK」が入っていた。
北隣の並木座の入る三木ビルは昭和11年12月竣工の古いビルだが、6・7階が増築され、階段室の窓はつぶされて竣工時の面影はほとんどない。『震災復興〈大銀座〉の街並みから―清水組写真資料』(銀座文化史学会編、平成7年刊)の昭和12年11月撮影の三木ビルの写真では大倉商事ビルはまだ建っていない。


左:大倉商事ビル南側。1986(昭和61)年9月7日。右:裏側。1987(昭和62)年5月31日

「ウィキペディア」によると、大倉商事は大倉喜八郎によって1873年に大倉組商会の名で設立された。戦後の財閥解体により総合商社の大倉商事として再出発したようだが、1998年8月に自己破産を申請して倒産した。
この場所は「萬朝報」の本社があった場所だ。やはり「ウィキペディア」によると、黒岩涙香道が1892(明治25)年に創刊した新聞で、当時は京橋区弓町。1900年には発行部数が東京の新聞中でトップになる。1940(昭和15)年10月、東京毎夕新聞に吸収された。

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