ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



浅尾拂雲堂(ふつうんどう)。台東区上野桜木1-5。左:1989(平成1)3月12日、右:2007(平成19)年3月2日

言問通りから上野公園へ出る狭い道路に面している。額縁製作と絵画修復の専門店である。油絵修復で台東区無形文化財・工芸技術の指定を受けた浅尾丁策(ていさく)氏(故人)は昭和2年に当地に開業したという。
芸大がすぐ近所だから、桜木・谷中・池之端にはその関連の店や工房が点在している。



東京都職員上野桜木会館。上野桜木1-6。1988(昭和63)年8月5日

明治後期に建てられた民家。撮影時は東京都が管理していたようだ。現在は「上野桜木会館」の名称で台東区の文化施設になっている。集会などに使われているのだと思う。その際、修復工事をしているが、2階部分が失われてしまった。
写真左に2階の瓦屋根が写っているが、国の登録有形文化財「市田邸」である。日本橋で布問屋を営んでいた市田善兵衛が隠居所として明治40年に建てたもの。戦後は芸大生の下宿屋にもなったという。

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天野商店。台東区上野桜木1-11。1990(平成2)年5月6日

言問通りの上野桜木交差点付近。天野商店(氷・燃料)の建物は3軒長屋だろうか。明治牛乳の建物は民家に改装されて残っている。

坂本歯科医院、京屋。左:1990(平成2)年5月6日、右:1989(平成1)年5月5日

坂本歯科は天野商店の隣。洋風のファサードは戦後の改修のように見える。現在もこの家で営業を続けている。
京屋は坂本歯科の隣にあった。左の写真では取り壊されている。撮影時も「中華料理 京屋」の新しそうな看板を上げているのだが、すでに廃業しているようだ。跡地はいまだに駐車場のままになっている。二軒長屋に見えるが建物の右端が隣のビルにくっついていて不自然である。元はもっと長かった長屋が切られてしまったようだ。

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あだちや酒店。台東区谷中1-4。1989(平成1)年3月12日

言問通りの善光寺坂を登り始める辺りで、大黒屋・中野パン店に続く家並み。この家並みは今もまだ変わらないようだ。



野内電機店。台東区谷中1-5。1989(平成1)年3月12日

善光寺坂を半分くらい登ってきた辺り。写真左に日よけを出しているのは金開堂という日本画の岩絵の具などを売る画材店。現在、写真に写っている古い家は全て建て替わった。

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中野パン店。台東区谷中1-3。1989(平成1)年2月26日

言問通りの善光寺坂の坂下である。信号は台東区谷中と文京区根津との境の道路が言問通りと交わる交差点のもので、写真左端の大黒屋せんべい店が交差点の角になる。大黒屋のほうはその古い店舗とともに味でも有名だ。写真右はかたなや雑貨店。現在も3軒とも残っている。



中野パン店。店の看板がなくなっている。1991(平成3)年9月23日



三叉路の角の家。谷中1-3。1989(平成1)年3月12日

大黒屋の角を北へ入ったところ。写真右奥の信号が言問通りとの交差点。写真左の丸山医院のほうの路地も言問通りへ出る。その間の区域は内角が90・60・30度の直角三角形のような形になる。その三角形の各辺の比が1:2:ルート3、というのを憶えたのは中学校でだったろうか。この三角形を作る道は江戸切絵図にもあるから、古い地図を見るときの目印になる。

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カヤバコーヒー店。台東区谷中6-1。1989(平成1)年頃

言問通りの上野桜木交差点角の喫茶店のカヤバは、谷中を紹介する本や雑誌の記事によく出てきていた有名な店だ。下町風俗資料館(旧吉田酒店)の向かいにあるからいやでも目について、ついでに寄っていく人もいただろう。昭和13年の開業という。どうもここ数年は休業中らしい。任せられる人がいないかららしいが、これだけの建物をほおっておくのはもったいない。



ナガマツ理髪店。谷中6-1。1989(平成1)年9月10日

カヤバコーヒー店に続いて北側に長屋や出桁造りの家など古い家が立ち並んでいた。ナガマツ理髪店の長屋は三軒長屋だろうか。現在は3階の低層集合住宅に建て替わった。

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郡鶴荘。台東区谷中6-1。1990(平成2)年2月18日

言問い通りの谷中6丁目交差点の角にあったアパート。写真左端は一乗寺でその間を入っていくと野沢石材店のところで鍵形に曲がって三崎坂の上の通りに出る。写真右端の石塀は日本医科大学看護専門学校のグラウンドで、その向かいには桜木校舎があった。
建物は○○荘と名前がつくアパートの標準型というか珍しくはないが、今は建物の玄関を設けずに直接各戸に出入りできる形のものが普通になってきているようだ。


路地の奥の民家。谷中6-1。左:1990(平成2)年5月6日、右:2007(平成19)年12月1日

言問い通りから路地の奥に見えている家で、現在も右写真のような状態だが残っている。路地を家の前まで入ってみると路地はT字型に左右に通じているが両方ともすぐ行き止まり。
『下町残照』(村岡秀夫著、朝日新聞社、1988年)に収録されている。それによると、加藤という人の住居で、氏は古い生活用品などを集めたり周辺の歴史なども調べたりして郷土史家としても見られていたという。


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野沢石材。台東区谷中6-2。1989(平成1)年3月12日

言問通りを一乗寺の角で北へ曲がると正面に野沢石材の長屋が正面に見える。
写真右の白い塀は自性院という寺で「愛染かつら」ゆかりの寺だという。ぼくは「花も嵐も踏み越えて」の歌を知っているだけである。そこでついでに少し調べてみた。『愛染かつら』とは川口松太郎が昭和13年に書いた小説である。すぐ田中絹代と上原謙の主演で映画化されてその主題化が『旅の夜風』。話の筋は、大病院の御曹司津村浩三とそこの看護婦高石かつ枝とのメロドラマだ。自性院の愛染明王像と本堂前にあった桂の古木にヒントを得た作品だという。願い事を書いてその桂の木に結ぶと願いがかなうということで……というストーリーらしい。(「東京紅團>谷中自性院から「澤の屋」さんまで」を参照)
左:野沢石材。1984(昭和60)年頃
右:書画骨董箱。谷中6-2。1990(平成2)年5月6日

野沢石材の長屋は写真では五軒長屋だが、元は八軒長屋だったらしい。野沢石材店の隣は石田菓子店だった。野沢石材の新しくした看板がなぜか右から書かれている。現在、野沢石材と旧石井菓子店が3階建ての集合住宅に変わって、二軒長屋になってしまった。
右写真の家は1枚目の写真の右奥へ行った感応寺の門の先にある。柏湯の斜向かいだ。二軒長屋のような造りだ。現在は、「書画骨董箱」の看板の家がまだ残っている。

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長屋。台東区谷中6-2。2008(平成20)年9月10日

三崎(さんさき)坂の坂上から言問い通りへ通じている道路がある。その沿道には20年位前は古い民家や長屋が寺院と混じって立ち並んでいたが、今ではかなりの家が建て直された。写真の二軒長屋はまだ残っていて、今ではかなり目立つ建物になった。長屋の向かいは門に「東京七面山」の看板が懸かる寺がある。
2階の階高が低い。2階の床は1階の屋根のところより下がっているわけだが、古い形式の造りである。関東大震災以前に立てられた可能性があると思う。



民家。谷中6-2。1989(平成1)9月10日

長久院前の道路は言問い通りへ出る途中で鍵形に曲がる。写真の家はその曲がり角の近くにあった。法蔵院という寺の向かいになる。
この家は1階の屋根が平らである。普通に傾斜していた屋根を改装したものかもしれない。農家の造りのような印象を受けるが、どうも白壁のせいらしい。町家で漆喰の白壁を見せている家はあまり見た覚えがない。

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民家。台東区谷中6-3。1990(平成2)年6月17日

三崎(さんさき)坂の上、台東初音幼稚園の向かいから南へ、言問い通りへ通じている道路がある。車は北方向への一歩通行の、そう広くもない道路で両側には6・7軒の寺院が並んでいる。写真は三崎坂の通りから入ったすぐのところで、南方向を見ている。
昭和初期に建てられたと思われる古い木造の家や長屋が並んでいる。いちばん遠くの木立が長久院という寺で、アジサイが有名だという。
現在、古い家は1軒だけを残して建て変わった。



二軒長屋。谷中6-2。1989(平成1)年9月10日

1枚目の写真の奥から逆方向を見た。屋根が見えない二軒長屋とその左の家の間を入る路地が「はっさい先生路地」。NHKの朝の連続ドラマに出てくるところだというが、ぼくはドラマを見ていない。いつ頃の放映だったのか知らないが、会社勤めの身なら当然だ。


民家
谷中6-3
1989(平成1)年9月10日

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東京動物園協会倉庫。台東区池之端4-1。左:1986(昭和61)年頃、右:1989(平成1)年3月12日

上野動物園の北西に清水坂がある。坂は下のほうでカーブして動物園の裏門に至るのだが、その曲がり角にレンガの建物がある。昔の変電所で、動物園の倉庫らしい。そうすると産業遺産だ。撮影時の住宅地図では東京動物園協会倉庫である。「ZOONET」に財団法人東京動物園協会の情報がある。昭和22年に設立され、現在は東京都の外郭団体(監理団体)で、「都立動物園4園の事業運営を「指定管理者」として飼育業務を含め全面的に担っている」そうだ。
上の写真は坂下の正面。右の写真では、門の扉が木から鉄板のものに変わり、建物の前面に箱型のものが増築されている。

左:1986(昭和61)年頃、右:1989(平成1)年3月12日

北側の裏面と西側の側面。右写真の空地には家が建ったので、現在では西の側面は見られない。

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