RE・友子パラドクス
水島結衣は学校に来るのが早い。八時前には教室で予習のチェックなどをしている。
これに次いで早いのが王梨香である。
おはよう
静かに挨拶を交わし、それぞれ勉強に没頭するのが、結衣が転校してからの一年A組の習わしになってきた。
二人に影響されて、他の子たちも勉強に熱を入れてくれればと、ノッキーこと柚木先生も願っている。
特に、A組の出来が悪いというわけではなかった。学年でも上位のクラスだ。新採三年目で初めてもった一年生。生徒たちには恵まれたと思った。
思った分、ノッキー先生の生徒たちへの愛情は膨らむばかりであった。「ばかり」の「ばか」で、鈴木友子を連想して少しおかしい。
友子は、けしてバカではない。だが、いろんなことに気を取られ、集中しきれないでいるところがある。で、このごろは、ほんとうにバカな顔をしていることもある。
現実の友子は違う。
頭はスーパーコンピューター以上の能力を持った数十年後の技術で作られた義体で、ノッキーの知らないところで、ダイハードやったり、宇宙人の戦いに巻き込まれたり、幽霊の水島昭二が結衣という女子高生としてやっていけるのを見届けたり、けっこう忙しい。
たまにアイドルに擬態して、先輩の紀香と街をうろつくのが、ささやかな息抜きであった。勉強は、目立たないようにわざと真ん中の順位をキープしている。
―― ピンポンパ~ン♪ 一年A組の水島結衣さん、一年A組の水島結衣さん、理事長室まで至急に来て下さい ――
長閑な校内放送で、結衣は理事長室に呼び出された。
「失礼します……」
そう言って入った理事長室には、あまり長閑ではない顔つきのノッキーが、先に来て座っていた。
「まあ、掛けたまえ」
「はい」
理事長は自分の椅子に座ったまま、内容を伝えた。
「一時間ほど前に、東亜テレビから電話があってね。放課後水島さんのことで取材に来たいって言うんだ」
「え……わたしにですか?」
「ああ、これだよ」
理事長はモニターの電源を入れた。そこには東京ドームの横で、バニラというディユオといっしょに楽しそうに歌っている結衣の姿が映っていた。
「あ、これは……」
「もう、アクセスが四万を超えている。なかなか大したもんだよ」
「わたしは、反対よ」
ノッキーが先回りした。
「転校してきてから、一週間ちょっとだけど、水島さんの力と熱心さはよく分かっているわ。今は勉強中心にやってもらいたいの」
「まあまあ、柚木先生。水島さん本人の気持ちも聞こうじゃありませんか」
理事長は、手を頭の後ろで組んで、ノビをした。びっくりするほど若く見える。
「スマホで撮られていたのは、知っていましたけど、こんなに話が大きくなっているなんて……」
「でしょ、だから今のうちに。理事長先生、お願いします」
「ボクは、青春時代、いろいろチャレンジしてみればいいと思う」
「先生」
「柚木先生。ハイティーンというのは、可能性の固まりなんですよ。時に自分で制御できないほどにね。僕は戦時中、そうありたくてもできなかった生徒をたくさん見てきました。生きていくことさえままならない時代でした。年寄りの妄想と笑ってくださってもいいが……時々、生徒の中に見つけてしまうんですよ。こいつは青春をやり直すために生まれ変わってきた奴じゃないかと」
「え、生まれ変わりですか?」
「いや、水島さんがそうだということでは無くて。ほら、つい、こないだも、坂東はるかさんと仲まどかさんが来てくれたでしょ。坂東さんは、この学校は中退だが、転校先の大阪の学校で素晴らしい成績を残し、得難い体験をして、今は女優の道を歩いている。類は友を呼ぶで幼なじみで後輩の仲まどかさんも女優になってしまった」
「ああ、うちのクラスにも入ってくれて、弾けてましたね(^▽^)」
「坂東さんは大阪でも充実した高校生活を送ったようですが、乃木坂に居ても人の何倍もドラマのあった人だと思うんです。で、たった半日でそれを取り戻されたような。仲さんも部活ばかりだった分を柚木先生のクラスで取り戻した。なんというか、乃木坂は中身が濃い。ハハ、いささか我田引水ですかな(^▢^)」
「『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』も『ワケあり転校生の7カ月』も読みました!」
「いささか誇張されているが、ほぼあの通りだよ。水島さんにもそういうところがあるのかもしれない。試してみてはどうかなぁ。向いていなければ、いくらでも方向転換の道はある。でしょ、柚木先生の先輩の貴崎マリ先生には驚きました。先生を辞めてタレントさんになっちまった」
「貴崎マリ?」
「ああ、芸名は上野百合です」
「え、あの上野百合ですか『のどあめカンタービレ』の?」
「そう、柚木先生より五歳は年上……あ、これは業界じゃ秘密だがね」
そういうわけで、放課後は、東亜テレビが、でっかい中継車とマイクロバスでやってきた。
「中継の上野です。スタジオのタムリさん。聞こえてますか?」
驚いたことに、MCでやってきたのは、その上野百合だった。ノッキーは驚き、理事長は、タヌキのような顔でとぼけていた。
――百合ちゃん、なんだか自分の学校みたいにスイスイ行くね――
スタジオのタムリが本質をついてきた。
「そりゃあ、天下の乃木坂学院ですよ。もう、ネットで、トイレの位置まで確認済みです。ああ、バニラ、早くきて!」
バニラの二人は生徒たちに取り巻かれ、素人らしく緊張している。
「こんにちは。東京ドーム……の横で、頑張ってますバニラの岩崎広也です」
「あ、西川康志です」
「今、SNSで人気のバニラ……っても、一人足りません。そう、メインボーカルの秘密の彼女が、ここにいます。で、本日の突撃アタックは、その彼女に、正式にメンバーになっていただけるよう、こんな中継車まで用意してコクリにきました。これで断られたら、今日の経費は、このバニラの二人が……」
「ええ、そんなの聞いてないっすよ!」
マジに聞いた西川がビビリながら抗議した。
「うそよ。タムリさんがもつことになってます」
――え、ええ!?――
タムリが奇声を発した。
「では、さっそく。ボーカルの彼女いるかなぁ……」
一瞬生徒たちがシーンとし、結衣がこわごわと手を上げた。みんなからどよめきが起こった。
「すみません……一回歌わせてもらえませんか? それで決めたいと思います」
「よっしゃー、バニラ、いいわね、今月のタムリさんの家賃がかかってるんだからね。しっかりね!」
この事態を予想していたスタッフによってPAの準備はバッチリだった。結衣はマイクを持つと、ゆっくりバニラの前に立った。もう顔つきがちがう。何かが降りてきた顔になっている。
《ぼくの おいたち》 作詞:岩崎広也 作曲:西川康志
ぼくのおいたち ぼくのおいたち ぼくのおいたち
でも 兄貴と姉貴のむすこじゃなくってね~♪
コミックソングが、きれいなバラードになって、グラウンドにいたみんなの拍手が鳴り響いた。
すると、ロケバスから業界では名の通ったHIKARIプロの会長・光ミツルが降りてきた。
「はい、じゃ、君たち、ここにサイン」
「え……?」
当然驚くバニラの二人。
「水島さんは未成年だから、あとで保護者のハンコもらってね」
結衣は、もう迷うことなくサインした。保護者のはんこ……まあ、なんとかなるだろう。
陰で見ていた友子は、紀香を振り返った。
「じゃ、新ユニット名を発表します……バニラエッセンス改め……」
光会長が宣言した。
そして、ここにHIKARIプロの新ユニット「バニラエッセンズ」が誕生した……。
☆彡 主な登場人物
- 鈴木 友子 30年前の事故で義体化された見かけは15歳の美少女
- 鈴木 一郎 友子の弟で父親
- 鈴木 春奈 一郎の妻
- 白井 紀香 2年B組 演劇部部長 友子の宿敵
- 大佛 聡 クラスの委員長
- 王 梨香 クラスメート
- 長峰 純子 クラスメート
- 麻子 クラスメート
- 妙子 クラスメート 演劇部
- 水島 昭二 談話室の幽霊 水島結衣との二重人格 バニラエッセンズボーカル