恩華さんは、四ノ宮家でアルバイトすることになった。
忠八クンが雇うわけではない。実家にいるとは言え冴えない文二の東大生。学校とアルバイト、そして、アパートと実家での二重生活に違いはなかった。お嫁さんの文桜さんのアイデアで、バイト料は忠八クンの親が出す。
ちなみに忠八クンのバイトも、工事現場のガードマンから、実家である四ノ宮家の蔵書の整理と、PCによる電子管理化をやることに変わった。
四ノ宮家には、10万冊余りの史料や書籍があり、その整理をやっていれば、おのずと日本とC国の近現代史が、国家機密のようなものまで分かるようになる。
孫桜さんは考えた。恩華さんは経済的に安定し、史料・資料を整理している間に、きっと自分の国と日本との関わり方の過去と現在。そして未来が見えるくらいに聡明な女性であると。
ただ良くも悪くも人のいい忠八クンが恩華さんに気持ちが傾斜しないように注意する。それも二人に気づかれないようにやるという仕事が増えた。
いちおう目出度し。
昨日の日曜日、久々にタクミ君から電話があって、神宮外苑の森のビヤガーデンで会うことにした。男性 4000円、女性 3700円の飲み放題。 ビルの屋上ではなく地上にあるビアガーデン。 神宮外苑の落ち着いた雰囲気の中で飲める 文字通り地に足の着いたビアガーデン。大阪のS駐屯地以来の出会いだけども、あんなに毎日顔を突き合わせていたので、都心の緑の中、気楽にビールが飲めるぐらいのノリだったが、会ってみると、とても懐かしかった。
「どうかした?」
ビールの泡を口に付けながらタクミ君が聞いた。
タクミ君て、こんな顔、こんな声だったんだろうか? と、不思議な気がした。
「なんだか、とっても久しぶりな感じがして……こんなの初めて」
「ボクは、今日のさつきちゃんが……」
「あたしが?」
「怖くない」
「怖かったのかなあ、あたしのこと?」
「うん。いつも心の中を覗かれているようで……さざれ石のお蔭かな?」
「ハハ、かもね。あの石のお蔭で、東京に戻って普通の生活ができるようになったんだもんね。今も……」
あたしはカットソーの襟をくつろげてペンダントを出した。タクミ君の顔が赤くなった。どうやら胸の谷間が見えてしまったよう……あんなに切れ者なのに純情なんだとおかしくなった……そして、おかしくなった。
「ハハ、タクミ君も、こうやって会うと、ただの少年なんだ」
「少年はないだろ。これでも24歳の三等陸曹だぞ」
「そうだね……あれ?」
ペンダントを開けてみると、中に入れていた「さざれ石」が無くなっていた。
「おかしいなあ……ペンダントの中に入るようにしてもらってから、一度も開けてないのに」
「……実は、ボクも無いんだ。認識票といっしょにパスケースに入れていたんだけど。今日会ってもらったのは、これを確かめたくて。さつきに心が読まれる可能性がある間は、ボクは本来の任務には戻してもらえなかったんだ」
「不思議だけど、これで二人の関係は、渋谷で事故って以来の関係に戻るってことよね」
安心してるはずなのに、なんだか寂しい。
「うん。でも……」
「……なに?」
「えと……ちょっと歩こうか?」
二人で外苑の森の中を歩いた。ほとんど喋ることもなかったけど、今までで、いちばんお互いを近く感じた。
なにも読めないというのは、ちょっと緊張するけど、なんだか自然な感じだ。
これくらいの緊張感が心地いい。
五か月かかって、やっと普通のスタートラインに立てたような気がした……。