大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・秘録エロイムエッサイム・2(助けた命 助けられなかった命・1)

2016-11-21 07:03:19 | ノベル
秘録エロイムエッサイム・2
(助けた命 助けられなかった命・1)



 駅につくと、改札を抜けホームにたどりついた。

「ああ、よっこいしょ……と」
 思わずお婆さんのような言葉が口をついた。隣に腰かけたキャリア風のオネエサンがクスクス笑っている。朝倉真由は真っ赤になった。
「ごめんなさい。出るわよね、朝急いで電車の席に座れたときなんか」
「アハハ、ども」
 真由は自分の中にお婆さんがいるような気がしたが、すぐにこの言葉が自然な年ごろになるんだと開き直り、当駅仕立ての準急に乗れたことをラッキーと思ったが、束の間だった。八十ぐらいのお婆ちゃんが真由の前に立ってしまった。
「あ、どうぞ」
 真由は潔く立って席を譲った。
「どうも、ありがとうね」
 お婆ちゃんは素直に座ってくれた。こういう時、変に遠慮されると気恥ずかしいものである。キャリア風が「ナイス」というような顔をした。真由はこういうのが苦手であった。コックンと目で挨拶して、反対側の吊革につかまった。
 島型のホームなので、電車を待つ人、ホームを歩く人が良く見える。真由は、こういう時退屈しない。人間と言うのは、なんだかんだ言ってもアナログの極みで、電車を待つという行動だけで千差万別である。それを観察しているだけで楽しいほどではないが時間つぶしにはなる。
 この準急は、特急の通過待ちなので、発車まで二分近くある。観察は、より深くなる。ホームにいる大半の人がスマホや携帯を見ている。集団の中の孤独という言葉が浮かんで、思わず写メる。真由の、ささやかな趣味。いろいろ撮っては自分一人で楽しんでいる。一頃友達に見せたりしていたが、コピーされてSNSに流されたことがある。男女の学生風が至近距離ですれ違う瞬間で、女子学生が偶然目をつぶった、切り取ったコマは、まるで二人がキスする瞬間のように見えた。関係者が、この写メに気づいて、冷やかしのコメントでいっぱいになり、本人とおぼしき女学生が「迷惑している」という書き込みをしていたので、それ以来、自分一人の楽しみにしている。

――G高いいな。あの制服のモデルチェンジは正解だよ――

 そう思って見ていると、刹那無意識に人を避け、そのまま重心を戻せずに、線路側によろめいて落ちた。そこを特急が通過!
 血しぶきをあげて、女生徒の体はバラバラになって弾き飛ばされた!

――だめ!――

 瞬間心で、強く思った。目はつぶったがスマホのシャッターは切っていた。
 阿鼻叫喚になる……はずであったが、特急は、何事もなく轟音を立てながら通過していった。跳ね飛ばされたはずの女生徒は、スマホを見ながら平然と準急にのってきた。そして真由の横で吊革につかまった。
――え、なんで……?――
 習慣でスマホを見る。いま撮ったばかりの惨劇が写っていた。思わず口を押えた……そして、写メはしだいに薄くなって、当たり前のホームの朝の姿に戻っていった……。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・100『ROBOCOP /アナと雪の女王』

2016-11-21 06:39:27 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・100
『ROBOCOP /アナと雪の女王』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


ROBOCOP

これだけ映画のSFXが進化して 様々なSF作品がリブート(再起動…リメイクとは意味が異なる)される中 「まだやらんのかい!」とイライラしながらまっていたのが、まさしくこれでした。

 まず、映像から言うと若干の不満はあるものの、この先シリーズ化されるとして(アメリカでは今一の成績、今後 世界でどれだけ稼ぐかにかかっていますが)その前提で考えると ギリギリ合格点を付けて良い出来上がりになっています。         
 当然の事ながら87年のヴァーホーベン版の どこか漫画チックな画面とは一線を画し、まさに“生きたロボコップ(?)”が暴れまわっています。
 監督のジョゼ・パジーリャ(ブラジル人/主にドキュメンタリー監督「バス174」/ドラマ「エリート・スクワッド」)は87年版とは違うロボコップを作ったが、前作へのリスペクトは全編に溢れている。
 細かい描写はこれから見る人の邪魔になるので割愛しますが、設定に穴が少々……幾つか有りますが、主にロボコップの生体部分維持(前作では ワザと無視してあった)へのこだわりと、そうした場合のメンテナンス費用 及び ラストシーン以降 誰が負担するのか……話がドキュメントタッチに進行する為、かえって気になってしまいます。
 前作ではオムニ社副社長が悪党で、ラスト 社長が副社長に馘首宣言する事に拠ってロボコップの禁忌コードが外れ、会社としてはプロジェクト続行となる。
 今作ではロボットプロジェクトはオムニの一部で、更に本社が存在する(いきなりラストでアナウンスされる)らしく、まぁ その辺は続編に出てくるんでありましょう。
 さて、87年版は 結構政治的な作品でした。アメリカがオイルショック以降 構造不況に陥る中、レーガノミクスが打ち出した新自由主義経済は「公共から民営化」の波を作り出し始めていました。
 こういう状況下、「もし、警察までが民営化されたら?」という設定で作られたのが前作でした。 ヴァーホーベンのアメリカに遠慮の無い語り口と、過剰過ぎる残酷描写は そのディストピアを描き出し、これは まさに現在の世界の先取りでした。
 今作ではブラジル人監督(ヴァーホーベンはオランダ人)が現在のアメリカが既にディストピアの入り口に在るとして製作しています。
 アメリカは兵士の死に耐えられずイラクから撤兵しましたが、これがロボット兵士なら? 映画では2018年にいたるも駐留を続けている事になっています。国内には警察にすらロボットの導入を禁ずる法律が存在するのに……政治経済の微妙な違いを映画は見事に吸収して作られています。
 内容に少し触れますが、前作のロボコップは“人間としてのマーフィー”のアイデンティティを奪われた存在として登場、彼がいかにして人間に再生していくかが重要なテーマでした。 今作でのマーフィーは人間としての記憶を持ったままサイボーグ化され、それでは都合が悪くなり感情を奪われる。それをどう取り戻すのか、家族との関わりを絡ませながら描いて行く。  
 どうしてもストーリーに触れますなぁ。正直、小理屈こねないと半端に感じる部分があるので どうしてもそっちに行っちまいます。これはねじ伏せて続編以降をまちましょう。
 SFアクションとしては基準を満たしています。


アナと雪の女王

 現在までに作られたCGファンタジーの極北です。身体ごと鷲掴みにされるような物語をクリエイトできる能力は悪魔的ですらあります。これでも褒め言葉なんですよ、もう絶賛する言葉がありませんわ。
「また ディズニーが童話をねじ曲げた」だの「キリスト教の臭いがキツい」だの「アメリカの論理」だのと……散々ハリウッド映画に噛みついてきた私が言います。この作品にそんなイチャモンつける奴は絶対許さん! のめり込みすぎですかねぇ~ なんせ、まるっきり始めのシーンから 余りの美しさ、あまりの躍動感に思わずウルッときちゃいました。エルサが氷の宮殿で歌う“Let It Go”なんて震えました。吹き替えを見ないで良かったと今日ほど思ったことはありませんわ。エルサの吹き替えは松たか子で……最近松たか子を見直したばかりですが、この歌で同等以上の感動を伝えられるとは思えない(ちなみにアナは神田沙也加)
「真実の愛」が魔法を破るというキモ以外はアンデルセン童話とは何の繋がりもありません。100%ディズニーオリジナルの物語。 ピクサーCGとは一味違う、本来のディズニーアニメの歴史線上にある まことに素晴らしい作品です。これは見るというより体験する以外にありません。どうか映画館に足を運んで下さい。
 老婆心ながら、小さい子供連れでなければ 是非とも字幕版をご覧になって下さい。絶対に!!

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