大橋むつおのブログ

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・89『エンダーのゲーム』

2016-11-10 06:03:08 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・89
『エンダーのゲーム』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ



 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです


さすがに映像に文句はありません。メカ・衣装デザインにも 隅々まで気が行き届いています。

 ただ、原作を読んだ身としてはダイジェストを見ている気分になります。 エンダーが訓練校に行った後、地球に残った兄と姉の役割が全面カット。エンダーは もっと小さい子供のイメージでしたが、主演のエイサ・バターフィールドはデカ過ぎ。訓練校で対立するボーンソーが彼より背の低かったのにはビックリしましたわい。アハハハハ……!
上下2巻の原作を100分に納めるのは無理ですね、まぁ毎度の話です。エンダーのゲームは地球の危機が一少年に託される事と、勝利の為とは言え 多数の犠牲を払う作戦を指揮させる事が二本の柱。いかな天才とは言え、年長者に認められたい欲求と他者に対する極自然な思いやりを持っている、精神的には全くの子供。しかも暴力的な兄の性癖が我が身にも隠されている事を自覚していて、それが爆発した後には、いつも深く懊悩してしまう。
 ゲームならばまだ良いが、エンダーの実戦指揮は意外な形で知らされる事となる。原作には、このショックに耐えられるだけの訓練シークエンスがあるのだけど、映画の展開だけでは判らない。
 エンダーの訓練より40年前、地球は昆虫型異星人の攻撃を受け、多大な犠牲を出しつつも追い払う。しかし、次の攻撃に耐えられるかは悲観的であり、先制攻撃を加えるべく艦隊が順次進発している。敵母星までは10年(原作では20年になっている)、その間、地球では艦隊指揮官の養成が図られる。これまで、何人もの候補がいたが何がしかの不具合で決定しなかった。エンダー(留め、最終者の意味合いがある)はほぼ最後の候補である。というのが本作の背骨であり、原作ではもっと長い時間が訓練校の中で流れる。その中でエンダーが悟るのは、敵を理解しなければ勝利は無いという真理。
 エンダーは、ついに異星人の思考を捉えるが、その事は彼に更なる十字架を背負わせる。  
 映画は、その点急ピッチに展開され、訓練校に入ってから1ヵ月位の話になっている。その分エンダーの心理的葛藤が描き切れておらず、ラストのエピソードに無理が出てくる。
 映画独自の説明がされてはいるが……この辺りの食い足りなさがアメリカでのスマッシュヒット止まりの結果に現れたのかもしれないですね。いずれにしても原作を読んでからお出かけになる方がよろしいようです。結果を総て受け入れるならば、それなりに楽しませてくれるポテンシャルは持っています。エイサが「ヒューゴの不思議な発明」当時にエンダーを演じ、2年がかり2部作品にしていれば完璧……いやいや、無いものねだりでございます。

コメント
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