だれかが膝枕をしてくれていたような感触が残っている。
「あら、目が覚めたのね」
「ジーナさん……」
「わたし……」
「何度目覚めても、ここの感触には慣れないようね」
ああ……ここは、ジーナさんの四阿(あずまや)だ。
「今まで、ここにだれかいました?」
「ほら、あそこ……」
エンジンの音がして、赤い飛行艇が一つ舞い上がっていった。
「……省吾?」
「ええ、たった今まで。あなたの膝枕になっていたけど、いてもたってもいられないみたい……」
少しずつ記憶がもどってきた。ワシントンでやってきたことを……国務省に行ったところまでは思い出していた。
「ほんとうにお疲れ様。もうあなたにやってもらうことはないわ」
「一つ聞いていいですか?」
わたしは思い出せないもどかしさを、ジーナさんに質問することで紛らわせた。
「なあに?」
「ジーナさん、若くなりましたよね?」
「これが、わたしの本来の姿……前、そう言ったわよね」
「はい、そんな気が……」
赤い飛行艇が、空中でデングリガエシをやったかと思うと、四阿の真上をスレスレに飛んでいった。
「うわー!」
「省吾も、だいぶ焦れてる。どうしていいか分からないのね」
「……省吾の顔が思い出せない」
「どっちの、省吾?」
「ワシントンでいっしょだった、高野とかいうオジサンのほう……」
「じゃ、話しておくわ。いずれ全ての記憶が無くなる。でも、なにも知らなくて記憶がなくなるよりも、知ってから無くなったほうが、あなたの心にはいいと思う」
ジーナさんは紅茶を一口飲んで語り始めた。
「省吾と、省吾のお父さんは、三百年の未来から真夏の時代にきた。これは覚えてるわよね?」
「ええ、2013年に来ることが限界で、それより昔にさかのぼるのに、わたしの力が要ったって……」
「そう、あの戦争で、日本が無条件降伏したところから、歴史が狂いはじめた」
「でも、あの戦争に勝っちゃったら、それはそれでおかしなことに……」
「程よいところで、講和……このスプーンを垂直に立てるほど難しいことだけど……」
ジーナさんは、見事にスプーンをテーブルの上に垂直に立てた。
「ちょっとしたマジック。見えない力で、スプーンを支えてるの」
「なにも見えませんけど……」
「ハハ、だから言ったじゃない。見えない力だって。ほら、こんなこともできる……」
なんと、スプーンが、四阿の中で曲芸飛行を始めた。
「すごい!」
スプーンは、穏やかに、ティーカップの横に収まった。
「真夏、あなたはスプーンが曲芸飛行をするのに必要な力なの」
「わたしが……」
「そうよ。真夏がいなければ、省吾たちは1941年にいけないばかりじゃないわ。2013年に居続けることさえできなかった」
コトリと音がしてティーカップが消え、スプーンは、お皿のうえを転がった。そして、コトンと音がして、今度はお皿が無くなり、スプーンは、テーブルの上に直接載っているかっこうになった。
「そして……」
「はい……」
「このスプーンは、わたしのことですか……?」
「鋭いわね……床の上じゃかわいそうだから……」
スプーンは、再び宙に浮き、新しいテーブルとティーカップが現れた。それは、さっきまであったのとは少し違っていた。
「……さっきのとは違いますね」
「でも、ティースプーンは気が付かない。少し変だなとは思っているかも……どうぞ、この紅茶は、真夏のために用意したものだから」
「あ、ありがとうございます」
真夏は、少しの砂糖とミルクを入れてティースプーンで軽くかきまぜた。
「何気ないことだけど、スプーンが無ければミルクティーは飲めない。スプーンはお皿や、カップ、テーブルが無ければ床に落ちているしかない……」