まだサラリーマンをしていた折の20代後半から通い続けた飲み屋があった。
初代ママが亡くなった後、当時の常連たちが閉店を惜しんで新たにその運営を任せる人を選び、再開することとなった。
その折に、新たなママとして選ばれたのは、当時の顧客で、私も肩を並べて飲んだり話したりしていた人だった。名を小芦さんという。
ただし、毎日は大変ということで、毎週、土曜日のみ開店という変則的な店だった。
私は自分自身も店をもっていたのであまり行く機会はなかったが、それでもたまには閉店後に訪れたりしていた。
もう20年以上前、自分の店は閉め、岐阜に引っ込んだが、土曜日に名古屋へ出た折には立ち寄るようにしていた。
この店は、私が名古屋の今池時代に知り合った旧知の友と出会える貴重な店であった。
その店が諸般の事情で閉店したのが3年近く前の2021年3月末であった。
その日の模様は、当時のブログに記した。
https:/ /blog.g oo.ne.j p/rokum onsende su/d/20 210314
しばらく日をおいてから、2代目ママの小芦さんのご苦労さん会を行い私も出席した。
その小芦さんが急逝したのは翌年、2月19日のことであった。
それから2年、命日に近い12日、往年の常連たち10人が集い、彼女の墓がある岡崎へ出向くこととなった。
午前9時半頃、名鉄岐阜駅へ
名鉄岐阜駅から岐阜市の中心街を臨む
名鉄岐阜駅改札口
私が乗った豊橋行の列車
木曽川を渡ると愛知県
目的の寺院正門
正門横の寺院名
小芦さんの墓標
花を活け、蝋燭、線香を上げて礼拝する
墓標近くの慰霊塔
岡崎城を遠望して会食場へ
会食を終えて矢作川支流乙川にかかる橋をわたる 数匹の鯉が泳いでいた
帰途、木曽川を渡り、笠松競馬場はもう岐阜県
乗ってきた電車
名鉄岐阜駅構内
バスの時間までかなりあったので、一駅先のJR岐阜駅まで歩く 展示の電車はかつて岐阜市内線や近郊を結ぶ路線(すべて廃線)で活躍していた全面5枚ガラス、乗降口付近に丸窓を擁した古い電車
私が乗る市内線バス停から撮った写真
久々に一万歩を越えて歩いた。
初代ママが亡くなった後、当時の常連たちが閉店を惜しんで新たにその運営を任せる人を選び、再開することとなった。
その折に、新たなママとして選ばれたのは、当時の顧客で、私も肩を並べて飲んだり話したりしていた人だった。名を小芦さんという。
ただし、毎日は大変ということで、毎週、土曜日のみ開店という変則的な店だった。
私は自分自身も店をもっていたのであまり行く機会はなかったが、それでもたまには閉店後に訪れたりしていた。
もう20年以上前、自分の店は閉め、岐阜に引っ込んだが、土曜日に名古屋へ出た折には立ち寄るようにしていた。
この店は、私が名古屋の今池時代に知り合った旧知の友と出会える貴重な店であった。
その店が諸般の事情で閉店したのが3年近く前の2021年3月末であった。
その日の模様は、当時のブログに記した。
https:/
しばらく日をおいてから、2代目ママの小芦さんのご苦労さん会を行い私も出席した。
その小芦さんが急逝したのは翌年、2月19日のことであった。
それから2年、命日に近い12日、往年の常連たち10人が集い、彼女の墓がある岡崎へ出向くこととなった。
これは矢作川 これを渡ると下車する東岡崎
久々に一万歩を越えて歩いた。