六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ある弔辞】先輩!「霊界新聞」を作りましょう。

2022-10-06 01:31:57 | フォトエッセイ
 70年前、中学校に入学した頃、一年先輩で新聞部に所属し、ほとんど独力でガリ版刷りの学校新聞を発行していたTさん、この人に憧れて私も新聞部に入った。この人の情報処理能力、そして表現力は刺激的だった。
 彼は普通高校へ進学し、東大へ入学した。私は商業高校にしか進めず、そこからかなり苦労して地方大学へ入学した。

             
 
 それっきりの縁だったが、70代の初め、ある勉強会で60年ぶりに彼に再会した。相変わらず真面目で、丸山ゼミOBの会に所属していて、自分自身の政治実践などをまとめたレポートをこまめに送ってくれた。
 しかし東京に住む彼とは逢う機会も少なく、70年代には2,3回の交流があったが、80代になってからはコロナ禍もあって逢う機会はまったくなかった。
 
 そして、突然の訃報。一昨年春、「肺がんステージ4手術不可」との診断を受け、以後薬物療養を続けていたのだが、この9月、ついに力尽きたとのこと。
 これらは、逝去後の遺族による情報で知ったので、その間、メールのやり取りや同人誌や資料の相互の送付などあったのだが、彼がそのような境地にあったことは全く知らなかった。というか彼も全くそれを告げなかった。
 
 なにはともあれ、12歳の私に刺激をくれたTさんの生涯を拍手をもって送りたい。
 Tさん、私がそちらへ行ったら、一緒に「霊界新聞」を発行しましょう。もちろん、ガリ版刷りで。
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多(他)事多彩だった10月3日の絵日記 免許更新・鮮魚・検診など

2022-10-04 11:25:21 | フォトエッセイ
 今日は運転免許更新日。朝イチで洗濯物を乾してから出かける。
 ここ20年ほどゴールド免許だから、ホホイのホイで更新できるところだが、そうは問屋が卸さない。
 高齢者の私には、「認知機能検査」をクリアしてからの免許更新だから半日がかりとなる。
 
 私が64番だったから、この日、おおよそ100人の高齢者が。なかには、この足取りで本当に車に乗るの?という人から、席順や自分の番号がわからないちょっとやばい人も。もっとも、私より若い高齢者も多いので、私もその人たちから見れば、あの人も免許取るんだと思われているかもしれない。
 待ち時間が長い一連の過程が済んで、なんとか午前中に免許をゲット。
 

 ところで、免許更新の場所は長良川の北側にある岐阜清流プラザという施設内だが、この2階には、いわば空中庭園ともいえる場所がある。そこを訪れてみた。
 前はもっといろいろな花類があったと思うがいまはそれらが少ない。生えている樹木類はまだしも、花になると季節ごとの手入れが大変でいまは少なくしているのだろう。

      

 ただし、この庭園を歩くのは気持ちがいい。地面に当たる部分がコンクリートでも踏み固められた土でもなく、樹木片を細かくしたものを敷き詰めているからだ。
 だから、歩くと成熟した森林の中に歩を進めるような快感が足の裏から伝わってくる。

 白い萩があった。ちょっと花が少ないのが気になったがこれからなんだろうか。

 
 

 帰途、長良川にかかる忠節橋を渡って南部の自宅へ帰った。 
 写真は橋を渡りきった信号から、岐阜駅方面を臨むものだ。この道は懐かしい。岐阜駅の南側にある自宅から、川の北側にある高校への3年間の通学時、毎日自転車で通った道だ。真冬になると、忠節橋をわたる頃、川面に沿った伊吹颪(おろし)が、横っ面から襲いかかり、自転車を漕ぐのに難儀したものだ(ああ、もう70年近い昔のことだ!)。

      

 自宅へ帰り、やや遅い昼食をとって、くつろいでいたら電話が。いつも恩恵をこうむっている釣りの達人が、日曜日の釣果を届けてくれるという。やがて、わざわざのお届け。
 写真の真鯛とハマチがそれだが、鮮魚の割に写真映りにやや光沢がないのは、お届け頂く前にウロコ取りなどの下処理が既に施されているからだ。なんともありがたい話だ。

 

 4時からいつものクリニックへ。今日は特別に、岐阜市が行っている高齢者「すこやか検診」で、500円で尿から血液の検査をしてくれる。
 そこへ徒歩で行く途中だが、何年か前から気づいている白い蓼を見る。路傍のたった一株で、清掃かなんかの拍子に抜かれてしまえばおしまいだが、よく頑張っている。
 検査結果は後日だ。

      

 帰途、少し歩こうといつもの川沿いを歩いていたら、女郎蜘蛛を見つけた。久々の対面だ。色合いが美しい。

      
      

 夕食の支度。メインディッシュはもちろん、いただきものの鮮魚。写真は鯛の刺身。半身は普通の刺身にし、半身は皮付きのまま湯引きにしたが、氷水に取るのを慌てすぎたのか、皮がやや固くなった。しかし、食感を損なうほどではなく、皮を噛む感触と身のそれとのハーモニーを楽しむことができた。

 

 思い起こすと、なんだかそれなりに多彩で面白い日であった。
 やはり、私のような高齢者は日常以外の他なるものとの接触が刺激になる。

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安倍大先生を巡るある幻想交響曲

2022-10-01 00:26:20 | よしなしごと
 7年前、安倍大先生は国連で演説を行った。総会ではないこの種の演説は出欠は自由で、演者の重要性や人気によって聴衆の数はまちまちだ。
 われらが安倍先生の場合には、さすがに世界の賢人といわれるだけあって、その聴衆は議場に入れきれないほどの大盛況、世界の要人たちがメモをとってその演説を聴き、要所要所では賛同の大拍手が鳴り止まず、しばしば話が中断されるほどだった。
 
 そして演説が終わった折には、「ブラボー」の声が一斉に起こり、参加者全員のスタンディングオーベーション。拍手の波は一時間余も続き、この世界の偉人の高邁な演説を讃えたという。
 
        
 
 その折の写真を掲載しようと思ったのだが、ヒットしたのは上の写真のみ。観衆はざっと30人ほどしかいない。ロイター通信の写真だが、きっとこれはなにかの間違いだと思う。
 
 私が国葬に疑問をもつのは、安倍大先生の業績は、周知のように世界規模、地球規模のものだから、この葬儀を日本が独占することは許されないのではないか。
 世界葬、国連葬を挙行し、全世界77億の人たちがすべからく喪に服すべきではないか。
 嗚呼!安倍大先生!
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