10月26日誕生日。84歳だって。思えば遠くに来たもんだ。
敗戦時、国民学校一年生。早く大きくなって兵士として天皇のもとへ馳せ参じたいと思っていた。「大君の辺にこそ死なめ」だ。
以来、約80年、天皇は三代変わったが私は今も生き延びている。自分が入る棺桶とは至近距離でありながらもだ。
終活などは最低限であえてちゃんとしようとは思わない。生まれたときもとりわけ準備をしてきたわけではあるまいし、死ぬときだってヒョンと終えればいいだけだ。自分では野垂れ死に願望といっている。
それらは子供二人にもいってある。ちょっとした知人たちへの「死んだよ」という知らせのほかはなんにもいらない。あとは子どもたちが判断すれば良い。なんにもしなくっても一切構わないし、「世間体」とやらに気遣って何かをしたいのならそれでもいい。
こんな言い分自体が子どもたちを縛るのかなという思いもある。しかし、その判断をするとき、既に私というものはいないのだから、いわば「後は野となれ山となれ」だ。
なんてことをさほど真面目に考えているわけでもない。
県立図書館へ行く。借りていた三冊を返し、新たに四冊を借りる。ここの返却期限は三週間だ。かつてはもっと多くの書を借りていたが、今はこれぐらいが限度だ。なかに、ノートを取って精読なんてのがあると、それだけで大変だ。
今回借りたうち、一冊はノートを取りながらになるであろう。逆に一冊は、資料になりそうなところを探す斜め読みの対象だ。しかし、「う?」と立ち止まったらノートを取る。そうすれば四冊を三週間は怪しくなる。
付帯レストランのガーデン かつては結婚披露宴なども行われたがいまはやや荒れている
ただありがたいことに、私の借りるものはあまり一般的ではないので、殆どの場合、読みきれなかったものの借り継ぎができることだ。
しかし、ごくたまに、「これは予約の方が入っているので返却願います」と断られることがある。そんなときは、「おう、あなたもこれを学んでいるの」とエールを送りたい気持ちになったりする。
といったようなわけで、八〇代の中頃に差し掛かったわけだが、引き続き、この図書館にはお世話になるつもり。
*写真はいずれも岐阜県図書館付近。