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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「年寄りの冷や水」と湯灌への希望

2016-08-26 01:42:06 | 日記
 「年寄りの冷や水」とは、老人が年齢にふさわしくない危険なことをするのをいくぶん揶揄することわざで、出典は「江戸いろはがるた」だという。そういえば、もう70年ほど前、訳もわからずそんなかるたをとっていた。
 そのそもそものいわれは、年寄りが冷たい水を被ったりするということなのだが、文字通りそんなことをしている。

 風呂は熱いのが好きだ。真夏でも、肌がひりひりするくらいの熱さでないと風呂へ入った気がしない。
 温泉や他所での入浴ではそんなことは望めないのだが、それはそれでよくしたもので、ちゃんとそれに対応はできる。その代わり、やや長湯になるかもしれない。

            

 ようするに、汗を目一杯かかないと気がすまないのだ。で、当然のこととしてかなりの汗が噴出し、それが引くまで時間を要する。外での入浴の場合は、脱衣場に大きな扇風機があったりして、その前でしばし体をさらせばなんとかなる。

 問題は自宅での入浴だ。茹で蛸状態なのに、もう少しと頑張って、さすがに声にこそ出さないが、子どものときのように、あと30とか50とか心の中で数えてから出る。
 その瞬間はプア~ッと気持ちがいいが、汗が吹き出して止まらない。呼吸も上がって、ハアハアと肩で息をする結果となる。

 こんなとき、気持ちが良いのは冷水を頭から被ることだ。うちの水は井戸水だから、とくに気持ちがいい。40度ほどにほてった体にその差、約30度の冷水!これぞまさに天国だ!
 てなことを前にも書いたら、それは危険だ、ほんとうに天国へ直行だぞ、という指摘があった。
 たしかにこの温度差、快感ではあるが危険度もある。私の場合、これまで積んできた数々の善行からして天国行きは決まっているが、まだやり残したこともあるので、急な招待には応じかねる。

            

 そこで、そうした忠告を参考にして、多少方法を変えることとした。いままでは洗面器に汲んだ冷水をいきなり頭からぶっかけていたが、それはやめにして、シャワーを使うことにした。
 まずは頭の天辺、これは脳に対し、これから冷たいものが行くよという合図だ。ついで後頭部、これがなかなか気持ちいい。それから顔面、首周り。この段階では心臓付近に冷水が及ばないよう、左手でガードしたりしながらおこなう。

            

 ついで四肢だ。手足はもちろん脇や関節の内側が心地いい。おっと、この段階で忘れてはいけないのは、男には特製のラジエーターがあるということだ。この部分の冷却は欠かせない。
 最後がボディだ。まずは背中から。これまでず~っと待っていた期待感からしてもここはとても爽快だ。左右の肩から、じっくりと背中を冷やす。
 ここまで来ると、さすがに頑固な汗もす~っと引いてくる。最後のボディの前面は仕上げのようなもので、サーッと流すだけでいい。その頃には、わが鈍感な心臓も、すっかり冷水を受け入れる準備ができている。

 しかし、ほんとうの仕上げはこの後だ。もうすっかり慣れきった身体に、洗面器に汲んだ冷水を、一杯、二杯、とだれ憚ることなく全身にぶちまけるのだ。これは汗の引く具合を見て、3杯から5杯に至る。
 ここまで来ると、もはやバスタオルは汗を拭うというより、冷水のしずくを拭き取るだけということになる。

            

 体重を測る。だいたいが58キロ前後。
 そのあと、買い置きのプレーンヨーグルトを食べる。450gのものを三回にわけて食べる。一回にティスプーンで15匙ぐらい食べるとちょうど三回で終わる。本当は、ビールでもグビッといきたいところだが、寝る前にいろいろすべきことがある。
 これも風呂から上がって一時間ほどのちに書いている。もうほてりも冷水の感触は何も残っていないが、冷房が苦手なので、やや離れたところにおいた扇風機の弱風にあたりながらである。

 今夜は虫も鳴かない。朝からの介護の疲れなどで睡魔が襲うなか、これを書いている。
 状況は厳しいが、熱い湯と、冷水シャワーでそれに耐えてゆかねばならない。

 そうそう、終活はしないし、遺言もべつに残さないようにしているが、この世におさらばしたときは、湯灌は肌がチリチリするぐらいの熱湯にしてほしい。そしてその後、冷水を思いっきり浴びせてほしい。
 え? そんなことをしたら、心臓がびっくりして生き返ってしまう? いいじゃないそれで。 あ~た、私には生き返ってなど欲しくはないの? あ、そう。じゃ、素直に逝くことにするか。
 

コメント
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