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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

中1殺人事件 若者の自由 監視カメラ

2015-08-22 23:30:58 | 社会評論
 写真は内容とは関係ありません。最近の散歩道から。

 大阪の中1殺人事件は何ら物証がないといわれ、捜査が困難視されていたが、発生後一週間、急転直下、容疑者が逮捕された。あくまでも容疑者であるから解決したわけではないが、ひとつの糸口が見つかったことは事実だろう。
 若い命が失われたという事実が解明される端緒が開かれたことは素直に良いことだと喜びたい。迷宮入りになったのでは失われた若い命は浮かばれまい。

 それらを前提として、この過程を見ていて私が感じたことなどを、いささか事件そのものからは脱線するのだが、記してみたい。

            

 ひとつは、現在の中学生のありようである。私の感覚では、中学1年生の13歳の少年少女が、夏休み中とはいえ、夜を徹して自宅以外で過ごすことが今では当然ありうることなのだろうか。
 もちろんそれが事件の核心であり、だから殺されて仕方がないというつもりなどは毛頭ない。それにつけこんでの凶行こそが責められるべきはいうまでもない。
 しかし、私の中には、なぜ中学生が夜を徹して徘徊するのかがよくわからない。今はそういう時代なのだろうか。

            

 私自身、若いころ、厳しい校則などに反抗したことがある。高校生の頃、それに抗議をする集会なども開いた。そして自由を求めた。
 しかし、現状の中学生の動向は、そうした半世紀前の私が求めた自由な行動をもはるかに上回っているようだ。

 今一つは、街頭の監視カメラの機能についてである。
 当初、被害者の少年少女たちの寝屋川駅近くでの映像が繰り返し流された。容疑者逮捕の状況を報じるニュースでも、彼の車の行き来の映像が決め手になったという。
 ようするに、被害者も加害容疑者も、そうした監視網にしっかり捉えられていたというわけである。

            
              チャバネセセリ 体長1センチ余

 これはすごいことではあるまいか。現在の監視網は、特定の個人がいつ、どこで、何をしているのかを映像として記録し、再現することができるのだ。
 そしてそれが、今回の事件の捜査の進展に寄与したことは報じられるとおりである。

            
 
 確かに、これは犯罪捜査や秩序維持には威力を発揮するのであるが、しかしである、同時に、そうした犯罪捜査とは無関係に、私たち一人一人の挙動がすべて記録され、検索可能だということをも意味している。
 それらは、警察署とか警備会社とか、しかるべき機関で管理保存されているようだ。

               

 ただ、怖いのは、ある特定の権力が全体主義化し、彼らのもとに、諸個人の動向がすべて集約されることだ。
 これは、ジョージ・オーウェルの『1984年』の IT版ともいえる。諸個人の情報は「ビッグ・ブラザー」のもとに集約され、保存され、管理される。

 ようするに、この IT情報社会は、諸刃の剣なのではあるまいか。一方では、犯罪者を特定する機能を持ちながら、同時にその機能は、犯罪とは無関係な諸個人の動向をすべてデータ化し管理し、先に仮定したように、権力が全体主義化した場合には抑圧のツールに転じることを示している。

            
                    ムカゴ 

 それが、社会が進歩するということであろうか。
 だとするならば私たちは、それを悪用する権力者たちを決して生み出してはいけないのだろう。
 国家の側は、特定秘密保護法を昨年施行して、私たちの側からの情報開示の動きを完全にガードしているのに、私たち自身の情報はスッポンポンなのだという事実を忘れてはいけないと思う。

 予告通り、冒頭の事件からはずいぶん脱線してしまった。

コメント
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