六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

鳩と子供と六の無垢な純情

2007-04-10 13:30:14 | よしなしごと
 しばらく続いた花冷えが去り、ここに三日は春らしい陽気が戻ってきた。

 私も、心身共に幾分、調子が悪かったのが、快復したように思う。

 遊軍の新聞記者は、なにもネタがないときには動物園に行くと聞いたことがある。まあ、なにがしか罪のない、毒にも薬にもならない記事が書けるのだろう。

 
 
 今日の私の日記もそうだ。
 第一次統一地方選挙の結果後だけに、それに対するコメントを期待する向きもあろうが、取り立てて書くべきこともない
 敢えて言うならば、まったくの想定内であったということだ。

 第一、あのレベルでの「政治」にはあまり関心がない。
 どの政党が政権を取ろうが(共産党を含めて)、この後期資本主義の爛熟の中で失われつつある人間の尊厳を視野に入れない政策論議は、その全てが生産と消費の論理に人間を従属させるという点で、リアルポリティクスの範囲内でのごく僅かな差異でしかない

  

  関心がないといいながら、結構、書き付けてしまった。
 そうそう、動物ものを書くつもりだった。
 「鳩と子供」の写真を載っけよう。
 春の陽光の中で、鳩と戯れる子供は、私の中にあるこの無垢な純情の外化であると了解されたい。
 
 

 え?あなた方? あなた方は、私を取り巻く鳩なのである。
 何だかファッシスト的な言動になってきた。
 
 ちなみに、写真の子供たちは、私の孫、ないしはひ孫ではありません。
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郷愁の半世紀と六の時事川柳

2007-04-08 11:34:31 | 川柳日記
 最近、懐かしいものに出会う。
 というより、私ぐらいの年齢になると、ちょっと古いものが残っていると、即、郷愁を覚えるということかも知れない。
 しかし、それらが、それぞれ半世紀前の思い出に繋がるとしたら、多少、ジンと来るものがあることも避けがたいのである。

 最初は、おいしいワインを頂く会などがあり、そこへ行く途中、偶然、通りかかった名古屋市の鶴舞公園横にある大きな大学病院の付近で、その一つに出会った。
 その長い塀に沿って歩いていると、突然、見覚えのある懐かしいものに出くわしたのである。
 
 下の写真がそれであるが、この門、かつてのこの学校の正門だったのだ。
 よく観ていただくとお分かりの用に、門の向こうには煉瓦の低い塀があり、現在は門としては使用されていないことを示している。
 要するに、歴史的建造物として保存されているのだ。

 
 
 そこがなぜそんなに懐かしいかというと、この門こそ、田舎のぽっと出の私が、大学というところへ始めて入った折、青雲の志を抱いて潜った門だからである
 こんなことを書くと、私が医学部出の医師であるかのように誤解されるかも知れないが、そうではない。
 私のようなものが医師になっていたら、日本の人口はかなり減少していたことであろう。

 私の入った大学は、各学校が統合された、当時、出来たての新生大学で、名古屋市内のあちこちに学部が散らばっていて(別名、蛸の足大学といわれた)、そのうち、ちゃんとした講堂を持っていたのがこの医学部しかなかったのである。
 18歳のわたしが、この門を潜ったのが、ちょうど半世紀前の今頃だといえば、かなり算数に弱い人でも、私の年齢を計算することが出来るだろう。

 私が実際にいっていたのは、最初の二年間は、滝子というところにあった教養課程であった。ここの正門はまた、歴史的建造物として、犬山にある明治村でお目にかかることが出来る。

 
 
 次の二年間(正直に言うと三年間)は、なんと名古屋城の中にあった学部である。
 現在の、愛知県体育館(毎年7月の大相撲名古屋場所の会場)辺りにあった、旧日本陸軍の六連隊兵舎跡である。
 この兵舎もまた、明治村の一角に置かれている(なんか、私自身が歴史的遺物のような感じがしてきた)。

 その名古屋城に仕事がらみで行ってきた。
 ちょうど桜が満開であり、ここにはこんな風情があったのかと改めて感心した。
 既に述べたように、かつての三年間、この風景を見て過ごしたはずなのだが、どういう訳か、その頃の記憶にこれらの風景はほとんど出てこない

 それはたぶん、歴史的風物への懐古趣味よりも、むしろ、未来にのみ、ひたと視線を据えていたその眼差しの狭量さによるものであろう。
 今でも、未来への線は失っていないつもりだが、同時に伝統的なもの、自分の回りの風景や風物などへの目配りも多少は出来るようになったのではないだろうか。

 郷愁の中へ退行するのではなく、それをも含んだ未来志向のようなもの、もちろんこれは言うに易いのみかもしれないが、そんな境地に至ることが出来ればと思う。
 
 若干18歳であった自分と、半世紀後のそれとの、連続性と差異とを考えさせられる一連の経験ではあった。

 


<今週の川柳もどき> 07.4.8

 天下る人に血税ついて行く
  (国家公務員の70関連企業へ)

 一万件以上が闇という恐怖
  (原発など事故の過去の隠蔽)

 国境が阻むアサリに罪はない
  (北産が中国経由で)

 待ったなし求む地球を冷やす知恵
  (IPCC報告。今世紀末には・・)

 ギャラつきもある街頭のインタビュー
  (TBSさん、どこまでやるの?)

 消えるのも困る来るのもまた困る
  (ヤフーの迷惑メール管理

 なるほどな俺も一枚噛んでいる
  (日本語のブログ数世界一に)
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「2」と眼鏡と「鬱」撃退

2007-04-06 11:59:46 | よしなしごと
 1がまずあって、2、3と進む。だから物事の基本は1だといわれるがそうかなと思ってしまう。
 
 1が1であるためには2があるのでなければならないのではないだろうか?要するに、1が1だけであるときにそれは1ですらないということだ。
 2があって、始めて1は分節化され、1となるのではないか。

  
 
 人間の体の形態(動物も含むのだが)においてもそうである。だいたいにおいてシンメトリーで、左右に分かれた二つのパーツからなっている。つまり、2が先にあるのであって、1はそのとき、その一方の片割れを指すに過ぎない。その片割れからはじめて手は二本だといったりする。

 また、人にはアイディンティティだとか個性(=1)が必要だという。
 しかし、そんなものは他者(=2以上)があることによって始めて言えることであって、しかもそうした個性などは、他者との否定的な差異に過ぎない。

 要するに、1が基本ではなく、2ないしそれ以上があることによって1が始めて意味を持つのではなかろうか。

    

  などということをくだくだ考えていたら、やはり2に関連してだろうか、眼鏡の片方のツルが折れてしまった。
 
 たかがツル、眼鏡屋で簡単に取り付けてくれるであろうと、出かけたのだがそれが甘かった。そのパーツの在庫はないから問屋から取り寄せるという。しかもその間、3、4日はかかるという。
 
 片方のツルで鼻でもたせる(まあまあ高いほうだが)ということも出来ぬことはないが、首を動かすこともままならぬ。
 この前、電灯が壊れたり、洗濯機の水漏れというつまらないことから鬱症状に陥ったことがチラッと頭をかすめる。ものが壊れたり、その処理などの事態に振り回されることが私を圧迫するのだ。

 一応、パーツは注文して帰宅。
 このままでは不便なので、「駄目もと」で他の安物の眼鏡のツルを外して、壊れた方に付けてみるとそれがうまくいった。ピッタシとは行かないし、色や形状も違うのだが、当面、掛けるのにはなんの不都合もない。

        
手前がオリジナルなもの
       向こう側は私が新たに付けたもの

 


 これで気が晴れた。そして、鬱の入り口から戻ることが出来た。自分の単純さにいささか呆れるが、結果良ければ全て良しだ。
 かくしてまた、1が基本ではなくて2こそが大切なことが立証されたわけだ。
 安物でもいいから、眼鏡は二つ以上持っていた方がいいのだ。
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アメリカ革命 (続報)

2007-04-01 16:45:49 | よしなしごと
 アメリカのロサンゼルス郊外で発生した山火事に端を発する暴動は、アメリカ革命評議会なる組織の成立により、急速にアメリカ全土に広まり、遂に1日、ワシントンを制圧するに至った。

 イラクなどでの長期戦で厭戦気分が濃厚な三軍も、革命評議会に合流する構えを見せ、既にイラク戦線からの撤収を開始した模様。
 また、一部の報道によれば、ブッシュ大統領はガンタナオ基地に身柄を拘束されていて、近く、人類に対する残虐の罪で裁かれる予定という。

 これをうけて緊急に招集されたわが国の閣議では、安倍総理らの「革命の拡大を防御すべし」という強行派が大勢を占め、在日米軍基地の占拠、封鎖を実施すると共に、外交的には、緊張関係にあった北朝鮮と急遽、軍事同盟を結び、対米戦に備えることとなった。

 近く、金将軍らが、対米戦統合本部設置の調印のため、来日するとの報道もある。
 安倍総理は、「金将軍は、私の盟友であり、かつ、偉大なる同志である」として歓迎の意を表し、一方、「鬼畜米英に勝利することは、我が祖父、岸信介以来の宿望であり、私のなかで、いまやそのDNAが燃えている」とその心情を明らかにした。

 以下、続報が入り次第配信の予定。

 


<今週の川柳もどき> 07.4.1

 集団自決自己責任と国がいう
  (沖縄戦、軍の関与なしと) 

 政教がつるみ支える九段坂
  (合祀の決定は厚生省

 徳育の必要子よりまず
  (自民に徳育教育の声)

 お手盛りで作り愛人住まわす気
  (新議員宿舎出来る)

 火事場泥捉えりゃ保険会社なり
  (十万件五十四億円の取り過ぎ)

 世の嘘が多すぎ霞む四月馬鹿
 永田町辺りは年中四月馬鹿
  (嘘と真の曖昧さ)
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