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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

郷愁の半世紀と六の時事川柳

2007-04-08 11:34:31 | 川柳日記
 最近、懐かしいものに出会う。
 というより、私ぐらいの年齢になると、ちょっと古いものが残っていると、即、郷愁を覚えるということかも知れない。
 しかし、それらが、それぞれ半世紀前の思い出に繋がるとしたら、多少、ジンと来るものがあることも避けがたいのである。

 最初は、おいしいワインを頂く会などがあり、そこへ行く途中、偶然、通りかかった名古屋市の鶴舞公園横にある大きな大学病院の付近で、その一つに出会った。
 その長い塀に沿って歩いていると、突然、見覚えのある懐かしいものに出くわしたのである。
 
 下の写真がそれであるが、この門、かつてのこの学校の正門だったのだ。
 よく観ていただくとお分かりの用に、門の向こうには煉瓦の低い塀があり、現在は門としては使用されていないことを示している。
 要するに、歴史的建造物として保存されているのだ。

 
 
 そこがなぜそんなに懐かしいかというと、この門こそ、田舎のぽっと出の私が、大学というところへ始めて入った折、青雲の志を抱いて潜った門だからである
 こんなことを書くと、私が医学部出の医師であるかのように誤解されるかも知れないが、そうではない。
 私のようなものが医師になっていたら、日本の人口はかなり減少していたことであろう。

 私の入った大学は、各学校が統合された、当時、出来たての新生大学で、名古屋市内のあちこちに学部が散らばっていて(別名、蛸の足大学といわれた)、そのうち、ちゃんとした講堂を持っていたのがこの医学部しかなかったのである。
 18歳のわたしが、この門を潜ったのが、ちょうど半世紀前の今頃だといえば、かなり算数に弱い人でも、私の年齢を計算することが出来るだろう。

 私が実際にいっていたのは、最初の二年間は、滝子というところにあった教養課程であった。ここの正門はまた、歴史的建造物として、犬山にある明治村でお目にかかることが出来る。

 
 
 次の二年間(正直に言うと三年間)は、なんと名古屋城の中にあった学部である。
 現在の、愛知県体育館(毎年7月の大相撲名古屋場所の会場)辺りにあった、旧日本陸軍の六連隊兵舎跡である。
 この兵舎もまた、明治村の一角に置かれている(なんか、私自身が歴史的遺物のような感じがしてきた)。

 その名古屋城に仕事がらみで行ってきた。
 ちょうど桜が満開であり、ここにはこんな風情があったのかと改めて感心した。
 既に述べたように、かつての三年間、この風景を見て過ごしたはずなのだが、どういう訳か、その頃の記憶にこれらの風景はほとんど出てこない

 それはたぶん、歴史的風物への懐古趣味よりも、むしろ、未来にのみ、ひたと視線を据えていたその眼差しの狭量さによるものであろう。
 今でも、未来への線は失っていないつもりだが、同時に伝統的なもの、自分の回りの風景や風物などへの目配りも多少は出来るようになったのではないだろうか。

 郷愁の中へ退行するのではなく、それをも含んだ未来志向のようなもの、もちろんこれは言うに易いのみかもしれないが、そんな境地に至ることが出来ればと思う。
 
 若干18歳であった自分と、半世紀後のそれとの、連続性と差異とを考えさせられる一連の経験ではあった。

 


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