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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「2」と眼鏡と「鬱」撃退

2007-04-06 11:59:46 | よしなしごと
 1がまずあって、2、3と進む。だから物事の基本は1だといわれるがそうかなと思ってしまう。
 
 1が1であるためには2があるのでなければならないのではないだろうか?要するに、1が1だけであるときにそれは1ですらないということだ。
 2があって、始めて1は分節化され、1となるのではないか。

  
 
 人間の体の形態(動物も含むのだが)においてもそうである。だいたいにおいてシンメトリーで、左右に分かれた二つのパーツからなっている。つまり、2が先にあるのであって、1はそのとき、その一方の片割れを指すに過ぎない。その片割れからはじめて手は二本だといったりする。

 また、人にはアイディンティティだとか個性(=1)が必要だという。
 しかし、そんなものは他者(=2以上)があることによって始めて言えることであって、しかもそうした個性などは、他者との否定的な差異に過ぎない。

 要するに、1が基本ではなく、2ないしそれ以上があることによって1が始めて意味を持つのではなかろうか。

    

  などということをくだくだ考えていたら、やはり2に関連してだろうか、眼鏡の片方のツルが折れてしまった。
 
 たかがツル、眼鏡屋で簡単に取り付けてくれるであろうと、出かけたのだがそれが甘かった。そのパーツの在庫はないから問屋から取り寄せるという。しかもその間、3、4日はかかるという。
 
 片方のツルで鼻でもたせる(まあまあ高いほうだが)ということも出来ぬことはないが、首を動かすこともままならぬ。
 この前、電灯が壊れたり、洗濯機の水漏れというつまらないことから鬱症状に陥ったことがチラッと頭をかすめる。ものが壊れたり、その処理などの事態に振り回されることが私を圧迫するのだ。

 一応、パーツは注文して帰宅。
 このままでは不便なので、「駄目もと」で他の安物の眼鏡のツルを外して、壊れた方に付けてみるとそれがうまくいった。ピッタシとは行かないし、色や形状も違うのだが、当面、掛けるのにはなんの不都合もない。

        
手前がオリジナルなもの
       向こう側は私が新たに付けたもの

 


 これで気が晴れた。そして、鬱の入り口から戻ることが出来た。自分の単純さにいささか呆れるが、結果良ければ全て良しだ。
 かくしてまた、1が基本ではなくて2こそが大切なことが立証されたわけだ。
 安物でもいいから、眼鏡は二つ以上持っていた方がいいのだ。
コメント (1)
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