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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「影」と「実体」の物語

2022-09-19 00:17:37 | 写真とおしゃべり
 影というのはあくまでも実体に付随するもので、それ自身は空無であるかのようにいわれる。たしかにそうかも知れない。
 しかし一方、光を当てても影ができないものは実体ではないといわれる。早い話が、生きてる人間のようにみえながらも影がないのは幽霊だとも言われる。

       

 だとするならば、影こそが実体を実体であると証すものではないだろうか。
 それを示すのがドイツ後期ロマン派の作家、アーデルベルト・フォン・シャミッソーの『影をなくした男』という小説だ。

 これは貧しい若者、シュレミールが、裕福になって自分の欲望を叶えたいと悪魔と取引をし自分の影を売る話だが、しかし、影のない男はどこでもまともに相手にされず、物欲はともかく、社会的存在としては孤立を強要されることとなる。

       
 
 それを見透かしたように悪魔は第二の取引を持ちかけ、魂を売るよう迫るが、シュレミールはそれを拒み、もとの貧しい若者に戻り、影がないままではあるが、なけなしの金で買った靴が、一歩で七里進む靴であったことから、世界中をめぐるという新たな生き方を見出すという物語だ。

 この話、影といい、魂といい、それらを悪魔が買い取るという意味では、あらゆるものが商品になるという資本主義の原理を言い当てているのかもしれない。
    

 ところで、影を買った悪魔はそれをどうしようとしたのだろうか。ようするに、実体から分離した影がここに登場することとなる。 
 この実体のない影だけというのはいったい何を表象しうるのだろうか。

 

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