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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

My おせち for 2016

2015-12-31 17:49:37 | グルメ


 おせちができました。
 取り立ててうまいものはないのですが、田舎風の伝統的おせちの系列になります。


 
 以下アトランダムに列記です。
 ・たつくり・ゆり根・金柑シロップ煮・くわい・酢れんこん・長芋白煮・ごぼうきんぴら・だし巻き・野菜五目煮・数の子・赤かぶ千枚漬け


 
 ほかにお重に盛り込まない一品として、カモ燻製(既成品)のマリネー、牛もも肉ローストビーフ(自家製)、白菜漬け(自家製)のほか、既成品の変わりかまぼこ、わさび漬け、などなどです。
 なお、ローストビーフは初チャレンジ。味見はこれから。


 
 たくさん用意しましたが、かつての主婦同様、主夫である私も正月3が日の炊事労働から開放されようという魂胆です。
 あ、でも、年越しそばと元朝のお雑煮も作らなければ・・・。
 厨房男子は忙しい。
コメント (1)
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私的各ジャンル、2015年のベスト・ワン

2015-12-31 00:25:19 | よしなしごと
 各新聞社の、各ジャンルについての今年のベストワンとかベストスリーとかの企画もここへきてほぼ終わったようだ。
 
 以下は、私なりの今年のベストワンだが、あくまでも私が出会った限りでの、そしてまた、その選考基準は一般的な良否とも関わりなく、私が勝手に衝撃や感動を覚えたものである。ようするに「極私的ベストワン」であるから、これを読む人の参考にはほとんどならないだろうことうけ合いである。

 そして、それらが、いずれも今年の後半に経験したものであるという事実は、前半の出来事などはとっくに記憶の彼方へ消し飛んでいるという老境ゆえの悲喜劇によるものである。

             

1)映画  『真珠のボタン』 
   監督:パトリシオ・グスマン (2014 チリ ドキュメンタリー)
 【理由】私がうっすらとしか知らなかったチリ南部の原住民、インディヘナが19世紀以降ほぼ絶滅の危機にさらされる前半と、つい前世紀の後半、アメリカと手を組んだクーデターにより、政権を奪取したピノチェト独裁政権下での幾つかの収容所で、アジェンデ派の虐殺が日常的に行われていたという事実を回想する後半とに別れるのだが、映画はこれらの実に重い問題を、決して絶叫型の追及や糾弾という「言葉」に訴えるのではなく、詩情溢れる映像によって、私たちの心の襞に訴える。
 それらは、その風土に根ざす「水の記憶」ともいえる物語でもある。
 なお、「真珠のボタン」はこの前半と後半をつなぐささやかだが重大で痛切な意味を秘めたキーとなる。

           

2)音楽 タリス・スコラーズ(英国のアカペラ混声合唱団)の岐阜公演
 【理由】ルネッサンス期の宗教曲をはじめとする彼らの歌声は、もう何十年前から知っていて、媒体を介しては聴いていたが、ライブははじめて。
 圧巻はこのグループおハコの、かつてバチカンの秘曲であった「ミゼーレ」。この曲は、5声合唱と4声合唱が交互に応答する二重唱で、この二つが空間的にも離れて歌うということは知っていた。しかしそれはあくまで舞台上で、おそらく左右に分かれて掛け合うのだろうぐらいに思っていた。
 しかし、第二部が始まるや二階バルコニー席で軽いどよめきがあって、なんと4声のほうがバルコニー席に陣取る私のすぐ後ろに位置しているではないか。舞台正面には5声の歌い手たちが、そして正面上部のパイプオルガンの前にはソロを歌う歌い手が控え、縦系列に三つのパートが位置し、その延長線に私はいたことになる。
 一階席の人は5声を間近に聴き、4声は天から降るように聴いたであろうが、私は4声をすぐ背後で、そして5声を地から湧くように聴いた。近くで聴くソプラノやバスは、耳にというより、体全体に滲みとおり、戦慄が走った。
 以下がそれだが、生で、しかも私の位置で聞いたそれは、こんなものではなかった。
  https://www.youtube.com/watch?v=xkfN98XoZow

             

3)読書 
 『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』
             山本理顕 (講談社選書メチエ)

 【理由】はじめて読んだ建築学の本であるが、ハンナ・アーレントの私的空間と公的空間、フーコーの生政治などで、概念的に解釈していた問題を、まさに私たちが現実に住む住居などのありようの問題として正面から突き付けていて、目から鱗の思いであった。
 建物や住居は、決して単に区切られた空間を意味するものではない。それを、開かれたものや閉じたものにしてゆくのは、私たち自身のもつ権力のありようなのだ。

          

4)絵画
 藤田嗣治をめぐっての一連のことども
 きっかけは敬愛する友人に誘われての岐阜県立美術館での「小さな藤田嗣治展」の鑑賞であったが、それ以前から彼には関心があり、とくに、戦前日本に帰国時に描いた「戦争画」をもって、敗戦後、戦犯扱いし、石もて追う如く国を離れさせ、ふたたびこの国の土を踏ませなかった彼への扱いが正当なものであったかどうかにはずっと疑問をもち続けていた。
 この美術展ではそれを解き明かすすべはなかったが、とかく派手にとりあげられる彼の作品群が、いかに緻密なデッサン力と、揺るがせない技量に裏付けられているかをまざまざと知る機会になった。
 その後は『戦争画リターンズ──藤田嗣治とアッツ島の花々』(平山周吉・芸術新聞社 これはとても面白かった)など藤田本を2、3読み、そして小栗康平の映画『FOUJITA』を観た。
 そしたら、それらを書いたブログを見てくれた、やはり私の畏友、京都大学の大学院教授のSさんが、国立近代美術館所蔵の戦争画を中心とした画集をわざわざ送ってくださった。
 先に自ら求めた、小学館の全三巻の画集「FOUJITA」ともども、正月のあいだ、私が眺めて過ごす対象としてキープしてある。

             
                 姉夫妻と妹

5)私事
 私は生後すぐに生母を亡くし、里子に出されて育った。
 今年の晩秋、別のところに養女に出された実姉と久々に逢い、生家の名残りの人々、実姉の子女や孫たち、それに私の腹違いの妹などに再会や初対面を果たすことができた。そして私が知らなかった親族たちの生きざまを知ることができた。
 そのなかには、戦中戦後の歴史のなかで、いわゆる「数奇な」運命を生きたひともいた。私はいま、その人についての記録を残したいと思っている。
 戦中戦後は、私のなかに生きているし、実はそれを全く知らない若い人たちの今日のありようをも規定しているものだと思う。

《終わりに》
 年が改まるからといって安易に希望を語ることなどはできない。老兵はただ、自らが経験したことどもを噛み締め、それをただただ咀嚼し直すのみなのだ。この辛くて苦い現実を!
 それとはかかわりなく、みなさんの新年がいいものでありますよう!
コメント (2)
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