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「一億総懺悔」と「一億総白痴化」について

2015-12-12 00:32:09 | 社会評論
 「一億総◯◯」シリーズの2回目です。

 前回は「一億総活躍社会」が政権筋から提言されている折から、「一億」という言葉が指し示すものと、その戦中時での使われ方について述べたが、その後もしばしば「一億」を冠した言葉が流通したことがあるので、それらについて考えてみたい。
 
 戦中の「一億総火の玉」、「一億総玉砕」の掛け声虚しく、敗戦に至った時に主張されたのは「一億総懺悔」であった。ようするに、この惨状に対し日本国民たるものすべからく懺悔をすべきであるということであるが、字面だけからいうと、この戦争の責任はそれを阻止し得なかった私たちすべての責任であるからそれを懺悔せよということなる。
 今様に考えると、この戦争で散った多くの人命、わが国のそれも含め、被害諸国の人たち全てに対して私たちは懺悔をすべきだということだろうが、ところがどっこい、そんなきれいなものとはこの趣旨は全く違うものだった。

               

 1945年(昭和20年)8月17日、敗戦の責任を取り辞職した鈴木貫太郎の後を継いで内閣総理大臣に就任した東久邇稔彦内閣(最後の皇族内閣)によってこの「一億総懺悔」は語られたもので、なんとそれは、大日本帝国の臣民として不甲斐なかったことを《天皇に対して謝罪し、懺悔する》という意味だったのだ。
 これが天皇を始め、具体的な戦争犯罪人を日本人自身が指摘し裁くという必要不可欠な作業が完全に失われてゆく過程の最初であった。味噌も何も一緒にした懺悔、これが「一億総懺悔」であり、しかもその懺悔の対象が全く違ったのだった。

 日本における戦争犯罪は、戦勝側の連合国による成敗のような形をとって行われた。しかしこれも茶番で、予め国体(天皇制)が護持されることが前提になっていて、天皇は超法規的に免責されていたのだ。「一億総懺悔」の一億のなかには天皇は入っていなかったのだ。

 これはまさに戦後史の始まりにおいての瑕疵であるといわねばならない。ようするに日本人が自らの手で自らを裁くことなく、この過程をやり過ごしてしまったのだ。
 そのくせ、チマチマとしたところで、どの作家が、どの芸術家が、戦争に協力したかを暴きだすという作業のみが行われた。大本の戦争責任は曖昧なままにである。

 これが、同じ敗戦国のドイツと日本を今日に至るまで分け隔てている点である。そして、恥知らずな歴史修正主義が大手を振ってまかり通り、「われわれは一貫して正しかったのだ」との歴史認識のもと、その正しかった「日本を取り戻す」というスローガンが上からのキャンペーンとして語られている。もちろん、「戦後レジームの解消」というお題目もこの路線の上にある。
 そうした修正史観に基づく外交政策が、かつてこの国が甚大な被害を及ぼした東アジアの国々(中国や韓国etc.)にも反作用を及ぼし、その間の関係がギクシャクしているのも、遠因はその辺りの「一億総懺悔」の裏に張り付いた「一億総無責任」にあるといえる。

 ちょっと端折るが、ついで「一億総◯◯」が登場するのは、1957年2月、評論家・大宅壮一が、その頃出回り始めたテレビについて語った「一億総白痴化」という言葉によってであった。
 この創成期のテレビ番組は、まだまだ見世物的要素も多く、「電気紙芝居」などともいわれたが、大宅壮一は「紙芝居以下の低俗」として切り捨てたのだった。その年の夏には、松本清張も、このままでは一億総白痴化に至るとこれに追随している。

          

 この年、まだわが家にはテレビはなかった。一般家庭にテレビが普及するのは、今の天皇の成婚並びにパレード(1959年4月)が契機になったといわれているから、60年代になってからだろう。

           
 
 だから私自身は、この頃の番組については何もいえないが、それほどひどいものだったかなぁという思いがある。大宅壮一にしても、松本清張にしても、その後のテレビの変貌を知り、今様に、ニュースだろうがドキュメンタリーだろうが何でもかんでもバラエティにしてしまうのを見たら腰を抜かすのではないだろうか。

 ただひとつ、こうした批判が説得力をもって流通したのは、教養を尊ぶということ、しかもそれらは主として書物を介して取り入れられるべきだといういわゆる教養主義、啓蒙主義の影響下においてであったことは留意すべきだろう。
 メディアのあり方は一様ではないし、教養主義、啓蒙主義のもろさもある。端的にいって、大正から昭和のはじめに続くそうした知的あり方は、戦争を止めることはできなかった。もっとも今のおちゃらけテレビにそんな力があるというわけではないが。

 次回はまとめとして、「一億ってだ~れ。あなたそれとも私?」について書くつもりです。
コメント (4)
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