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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「一億」とは一体誰のことなのだろうか?

2015-12-06 13:38:36 | 歴史を考える
 「一億総活躍社会」というのは、新安保法案を暴力的な強行採決で乗り切った安倍内閣が打ち出した「新三本の矢」を担うイメージらしい。ようするに、国民すべてをいわゆるアベノミクスの第二弾階に動員しようというわけらしいのだ。

 ところで、この一億とは一体誰のことなのだろうか。
 結論的にいうならば、それはあなたであり私であり、そして、あなたでも私でもない。それについて考えてみよう。

 一億という数字はどこから来ているのだろうか。日本人の人口から来ているというのはある程度根拠がある。しかし、長期的にその推移を見てみると、それは大きく変動していて、一億が日本の人口の近似値であった期間はさほど長くはないことがわかる。
 幕末の頃、日本の人口は4,000万人ほどだった。それが文明開化や産業革命により急速に増加したのだが、それでも、日本が対外膨張政策をとり出した1920年代から30年代にかけては6~7,000万人であった。
 その後も人口は増え続けるのだが、私がものごころつき、「一億総◯◯」という言葉を聞いた1940年代中頃でも7,500万人前後である。


         

 この時期、右肩上がりのグラフにピョコっと陥没が見られる。これは1944年から45年で、戦死者、戦災による死者を現している。巨大な力、しかも人為による力が人命をかくもあからさまに奪ったという痕跡だ。
 実際に日本の人口が一億に達したのは1960年代の中頃である。
 以後、増加傾向は21世紀初頭にまで続き、1,300万近くをピークに、今は上昇時とほぼ同じカーブを描いて減少過程に入っている。このグラフを信用するならば、2100年には幕末同様、4,000万人にまで減少することになる。

 これからわかることは、「一億」という数字は日本の人口を忠実に反映したものではないということである。ただし、戦時中の「一億」は動物たちが自分の身体を膨張させて相手を威嚇するような作用を持っていたのかもしれない。戦時中には人口統計そのものが機密事項であったという話を聞いたことがある。

 したがって、「一億総◯◯」は、近似値としての日本人の人口を示すと同時に、「すべからく日本人たる者は・・・・すべし」と呼びかける国民総動員令としての意味をもっている。もちろん、それらは例外事項として、そこには含めないマイノリティをもっていることは言うまでもない。

       

 私が幼少時、軍国幼年であった折に耳にしたのは、「一億総火の玉」、「一億総玉砕」、「一億総特攻」などの言葉であった。
 これらのスローガンのほとんどは、大本営を経由して津々浦々まで浸透していたと思う。日本の敗色が濃厚になり、本土決戦が必至と思われる頃、これらのスローガンはヒステリックな様相を帯びてヒートアップしていった。

 これらは当然「一人一殺」など、死と隣合わせを含意していたが、死というものを知らなかった私は当然のように「一億総火の玉」などと口走っていた。そうすると、周りが「良い子だ」とほめてくれるのだった。
 いま、私がその周りの大人だとしたら、「一億総火の玉で、一人一殺を試みるとしたら、相手の一億と、こちらの一億の大半が死ぬこととなる。こんなにたくさんの人が死んで、どんないいことがあると思う?」と尋ねるかもしれない。

            

 当時、私の周りにも、密かにそう思い、私を「英雄気取りで怪気炎を上げる愚かなガキだ」と思っていたひとがいたかもしれない。しかしそう思ってもそれを口にだすことは許されなかった。そんなことをしたら、彼自身が「非国民」として袋叩きにされるか、下手をすると憲兵隊へ連行され、背後関係を調べると称して半殺しの目に合わねばならなかったからだ。

 ところで余談だが、日本は天皇陛下のご英断によって本土決戦の悲惨を免れ得たと思っているナイーヴな人たちからすっぽり抜け落ちている事実を指摘しなければなるまい。
 ここでは、紛れもなく当時も日本の「本土」の一部であった沖縄での地上戦が無視されているのだ。1945年の3月から6月まで、あの小さな島で、圧倒的に軍事力において優勢な米軍相手に、沖縄は3ヶ月にわたって戦ったのだ。そしてその死者は日本側のみで20万人、その半数の10万人近くが民間人だったのだ。

           
  
 これをして、「本土決戦は免れた」と平然という者たちが今なお琉球処分ともいうべき沖縄への基地偏重を当然視し、辺野古の基地建設を「平和のために」(・・・誰にとって?)必要として容認しているのだ。その先頭に、日本政府がいる。

 「一億◯◯」についてもっと具体的に検討しようと思ったが、その前段のみでけっこう長くなった。続きはあらためてとうことにしよう。
 以後、「一億」は多様な使われ方をしてきたので、それを順次みてゆきたい。

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