「一億総◯◯」シリーズの2回目です。
前回は「一億総活躍社会」が政権筋から提言されている折から、「一億」という言葉が指し示すものと、その戦中時での使われ方について述べたが、その後もしばしば「一億」を冠した言葉が流通したことがあるので、それらについて考えてみたい。
戦中の「一億総火の玉」、「一億総玉砕」の掛け声虚しく、敗戦に至った時に主張されたのは「一億総懺悔」であった。ようするに、この惨状に対し日本国民たるものすべからく懺悔をすべきであるということであるが、字面だけからいうと、この戦争の責任はそれを阻止し得なかった私たちすべての責任であるからそれを懺悔せよということなる。
今様に考えると、この戦争で散った多くの人命、わが国のそれも含め、被害諸国の人たち全てに対して私たちは懺悔をすべきだということだろうが、ところがどっこい、そんなきれいなものとはこの趣旨は全く違うものだった。

1945年(昭和20年)8月17日、敗戦の責任を取り辞職した鈴木貫太郎の後を継いで内閣総理大臣に就任した東久邇稔彦内閣(最後の皇族内閣)によってこの「一億総懺悔」は語られたもので、なんとそれは、大日本帝国の臣民として不甲斐なかったことを《天皇に対して謝罪し、懺悔する》という意味だったのだ。
これが天皇を始め、具体的な戦争犯罪人を日本人自身が指摘し裁くという必要不可欠な作業が完全に失われてゆく過程の最初であった。味噌も何も一緒にした懺悔、これが「一億総懺悔」であり、しかもその懺悔の対象が全く違ったのだった。
日本における戦争犯罪は、戦勝側の連合国による成敗のような形をとって行われた。しかしこれも茶番で、予め国体(天皇制)が護持されることが前提になっていて、天皇は超法規的に免責されていたのだ。「一億総懺悔」の一億のなかには天皇は入っていなかったのだ。
これはまさに戦後史の始まりにおいての瑕疵であるといわねばならない。ようするに日本人が自らの手で自らを裁くことなく、この過程をやり過ごしてしまったのだ。
そのくせ、チマチマとしたところで、どの作家が、どの芸術家が、戦争に協力したかを暴きだすという作業のみが行われた。大本の戦争責任は曖昧なままにである。
これが、同じ敗戦国のドイツと日本を今日に至るまで分け隔てている点である。そして、恥知らずな歴史修正主義が大手を振ってまかり通り、「われわれは一貫して正しかったのだ」との歴史認識のもと、その正しかった「日本を取り戻す」というスローガンが上からのキャンペーンとして語られている。もちろん、「戦後レジームの解消」というお題目もこの路線の上にある。
そうした修正史観に基づく外交政策が、かつてこの国が甚大な被害を及ぼした東アジアの国々(中国や韓国etc.)にも反作用を及ぼし、その間の関係がギクシャクしているのも、遠因はその辺りの「一億総懺悔」の裏に張り付いた「一億総無責任」にあるといえる。
ちょっと端折るが、ついで「一億総◯◯」が登場するのは、1957年2月、評論家・大宅壮一が、その頃出回り始めたテレビについて語った「一億総白痴化」という言葉によってであった。
この創成期のテレビ番組は、まだまだ見世物的要素も多く、「電気紙芝居」などともいわれたが、大宅壮一は「紙芝居以下の低俗」として切り捨てたのだった。その年の夏には、松本清張も、このままでは一億総白痴化に至るとこれに追随している。

この年、まだわが家にはテレビはなかった。一般家庭にテレビが普及するのは、今の天皇の成婚並びにパレード(1959年4月)が契機になったといわれているから、60年代になってからだろう。

だから私自身は、この頃の番組については何もいえないが、それほどひどいものだったかなぁという思いがある。大宅壮一にしても、松本清張にしても、その後のテレビの変貌を知り、今様に、ニュースだろうがドキュメンタリーだろうが何でもかんでもバラエティにしてしまうのを見たら腰を抜かすのではないだろうか。
ただひとつ、こうした批判が説得力をもって流通したのは、教養を尊ぶということ、しかもそれらは主として書物を介して取り入れられるべきだといういわゆる教養主義、啓蒙主義の影響下においてであったことは留意すべきだろう。
メディアのあり方は一様ではないし、教養主義、啓蒙主義のもろさもある。端的にいって、大正から昭和のはじめに続くそうした知的あり方は、戦争を止めることはできなかった。もっとも今のおちゃらけテレビにそんな力があるというわけではないが。
次回はまとめとして、「一億ってだ~れ。あなたそれとも私?」について書くつもりです。
前回は「一億総活躍社会」が政権筋から提言されている折から、「一億」という言葉が指し示すものと、その戦中時での使われ方について述べたが、その後もしばしば「一億」を冠した言葉が流通したことがあるので、それらについて考えてみたい。
戦中の「一億総火の玉」、「一億総玉砕」の掛け声虚しく、敗戦に至った時に主張されたのは「一億総懺悔」であった。ようするに、この惨状に対し日本国民たるものすべからく懺悔をすべきであるということであるが、字面だけからいうと、この戦争の責任はそれを阻止し得なかった私たちすべての責任であるからそれを懺悔せよということなる。
今様に考えると、この戦争で散った多くの人命、わが国のそれも含め、被害諸国の人たち全てに対して私たちは懺悔をすべきだということだろうが、ところがどっこい、そんなきれいなものとはこの趣旨は全く違うものだった。

1945年(昭和20年)8月17日、敗戦の責任を取り辞職した鈴木貫太郎の後を継いで内閣総理大臣に就任した東久邇稔彦内閣(最後の皇族内閣)によってこの「一億総懺悔」は語られたもので、なんとそれは、大日本帝国の臣民として不甲斐なかったことを《天皇に対して謝罪し、懺悔する》という意味だったのだ。
これが天皇を始め、具体的な戦争犯罪人を日本人自身が指摘し裁くという必要不可欠な作業が完全に失われてゆく過程の最初であった。味噌も何も一緒にした懺悔、これが「一億総懺悔」であり、しかもその懺悔の対象が全く違ったのだった。
日本における戦争犯罪は、戦勝側の連合国による成敗のような形をとって行われた。しかしこれも茶番で、予め国体(天皇制)が護持されることが前提になっていて、天皇は超法規的に免責されていたのだ。「一億総懺悔」の一億のなかには天皇は入っていなかったのだ。
これはまさに戦後史の始まりにおいての瑕疵であるといわねばならない。ようするに日本人が自らの手で自らを裁くことなく、この過程をやり過ごしてしまったのだ。
そのくせ、チマチマとしたところで、どの作家が、どの芸術家が、戦争に協力したかを暴きだすという作業のみが行われた。大本の戦争責任は曖昧なままにである。
これが、同じ敗戦国のドイツと日本を今日に至るまで分け隔てている点である。そして、恥知らずな歴史修正主義が大手を振ってまかり通り、「われわれは一貫して正しかったのだ」との歴史認識のもと、その正しかった「日本を取り戻す」というスローガンが上からのキャンペーンとして語られている。もちろん、「戦後レジームの解消」というお題目もこの路線の上にある。
そうした修正史観に基づく外交政策が、かつてこの国が甚大な被害を及ぼした東アジアの国々(中国や韓国etc.)にも反作用を及ぼし、その間の関係がギクシャクしているのも、遠因はその辺りの「一億総懺悔」の裏に張り付いた「一億総無責任」にあるといえる。
ちょっと端折るが、ついで「一億総◯◯」が登場するのは、1957年2月、評論家・大宅壮一が、その頃出回り始めたテレビについて語った「一億総白痴化」という言葉によってであった。
この創成期のテレビ番組は、まだまだ見世物的要素も多く、「電気紙芝居」などともいわれたが、大宅壮一は「紙芝居以下の低俗」として切り捨てたのだった。その年の夏には、松本清張も、このままでは一億総白痴化に至るとこれに追随している。


この年、まだわが家にはテレビはなかった。一般家庭にテレビが普及するのは、今の天皇の成婚並びにパレード(1959年4月)が契機になったといわれているから、60年代になってからだろう。

だから私自身は、この頃の番組については何もいえないが、それほどひどいものだったかなぁという思いがある。大宅壮一にしても、松本清張にしても、その後のテレビの変貌を知り、今様に、ニュースだろうがドキュメンタリーだろうが何でもかんでもバラエティにしてしまうのを見たら腰を抜かすのではないだろうか。
ただひとつ、こうした批判が説得力をもって流通したのは、教養を尊ぶということ、しかもそれらは主として書物を介して取り入れられるべきだといういわゆる教養主義、啓蒙主義の影響下においてであったことは留意すべきだろう。
メディアのあり方は一様ではないし、教養主義、啓蒙主義のもろさもある。端的にいって、大正から昭和のはじめに続くそうした知的あり方は、戦争を止めることはできなかった。もっとも今のおちゃらけテレビにそんな力があるというわけではないが。
次回はまとめとして、「一億ってだ~れ。あなたそれとも私?」について書くつもりです。
お題目なのだからそこに疑問を挟んではいけないわけで、「なるほど、これが権力を持つ者がそうでない者の口を封じるやり方なんだな」と子供の小生は感じていました。
その後、小生の家庭でもテレビをゲップ(月賦)で買いました。そうです、母親の口から「そうじゃねえ、うちも中くらいの生活かねぇ」の言葉が出て『一億総中流』と言われた時代が来たからです。
もっとも、『一億総中流』は国民意識の統計結果を分かりやすく表現した結果であり、上流や下流意識を持つ人々もかなりいました。
これまで日本の権力者の口にした「一億なんちゃら」で『なんちゃら』をちゃんとやったことは一度もありませんでした。きっと安部首相も嘘つき権力者仲間入りをして遠くない将来の歴史書やいろんな人のブログに名前を残すことでしょう。
『一億なんちゃら』なんて言わなきゃいいのに、気の毒なことです。
「一億総活躍」のお題目に触発されて、「一億なんちゃら」を洗い出してみようと上記を含めて2回、記事を書いてきました。次回は、お触れになっている「一億総中流」という幻想が今日につながってくる過程を見ながら、「一億なんちゃら」といういい方が含む問題を考えてみようと思っています。
しかし、お書きになっているように、大宅壮一などが考えもしなかったであろう「一億総白痴化」のフレーズが、テレビを買えない家庭の子供達への言い訳に使われていたというのは面白いですね。
私のうちもそうでしたから、日本中のあちこちで、「テレビを見てると馬鹿になるんやて」といわれていたのでしょうね。なんか、サザエさんの世界を連想します。
子どもたちは、馬鹿になってもいいからテレビが見たかったのだろうと思います。
<現在>原爆と隣り合わせの原発にかかわる組織への次のような免責状態もおかしいと思います。フクシマで大ごとを起こしたのにタイホシャなし、家宅捜索なしの東京電力。ライブドアなどは「粉飾決算」といわれてきたことがメディアからは「不適切会計」と表記されている東芝(子会社ウェスチングハウスの不振が関係との見方もっぱら)。
<未来>こうした過去・現在からして今日このごろの安倍晋三とその一派は、何をしても免責されるという自信を持っているのではないか。しかし、それは私たちの未来ではない。あゝ、大上段になってしまいました、失礼。
過去、現在、未来とそれぞれの無責任の系譜ですね。
外国人市民と犬の数を比較した埼玉県の川口市議の議会場での発言、不適切としれ議事録から削除されたようですが、この削除というのも、あったことをなかったかのようにしてしまう意味で無責任体制を助長しているのではないでしょうか。
逆に、削除など絶対に許さず、子々孫々にまでそうした事実があったことを継承してゆくべきだと思うのです。