六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

終わったわけではない!新たな出発のために!

2015-09-19 17:21:00 | 社会評論
 安保法案が参院でも通過し、法制化されることになった。
 私も含めてがっくりしている人も多いであろう。
 
 私の場合には、ちょうど55年前のいわゆる60年安保での敗北が、その運動にかなり深く関わりあった一員であったこともあり、否が応でもオーバーラップする。
 あの時も、国会を30万人が取り巻くという未曾有な盛り上がりにもかかわらず安保条約を阻止することはできなかった。それだけに、敗北の反動は大きかった。
 そしてそれが今回の法案につながってしまったという忸怩たる思いや自責の念もある。

             

 当時と今との共通点のひとつは、学生たちの運動が大きなウエイトを占めたことである。60年では当時の全学連が国会構内まで突入するなど突出した運動を展開し、それが全体の運動を牽引したともいえる。
 今回でいうとSEALDsがそれに相当するだろうが、全学連は60年当時においては、各大学の学部ごとの自治会、それらの連合としての県単位の県学連、そして全学連と内紛はあったもののかろうじて学生の自治組織の体裁を保っていた。

 しかし、一方、全学連は、伝統的な左翼を超えるという意味で「新左翼」を体現するかたちで、現今のSEALDsに比べて遥かに党派的であったから(その是非は今はいうまい)、それだけに、その総括をめぐっての論争は熾烈であった。闘争の規模を捉えて勝ったという者、その質的内容を捉えて問題にするもの、今後の変革の主体を形成し得なかったが故に敗北とするるの、などなどまちまちであった。

 それらの総括をふまえ、その数だけの新たな党派が形成され、四分五裂の状態に入った。
 党派間の闘争は賑やかではあったが、成立した法案への事後的なフォローの運動、反対に結集した人たちに新しい目標を提示し、そのエネルギーを継承してゆく面では決定的に不十分で、全体的な退潮現象は否定すべくもなかった。
 しばらく後の事ではあるが、それら各党派が相手の殲滅を図り殺し合いにまで発展するに至って大衆的離反は決定的になった。

 これは痛ましい記憶である。
 それらの状況下で、いわゆる55年体制をもじわじわと崩壊し、自民党が一時的に危機に陥ったこともあったが、二大政党制という掛け声のもと、小選挙区制が実施され、過半数を下回る得票数でも政権を握ることができ、おまけに公認を餌に党内の複数性が失われ、政権党首の独裁的支配がモノ言うようになった。
 この間の自民党の劣化、ひいてはこの国の政治の劣化は目に余るものがある。

 しかし、今回の運動の尻上がりの拡大、これまでとは違った各階層、各年代への拡大は評価できる。従来の労組動員とは質的に違う運動の展開といえる。
 ついでながら、この間、連合は形式的な参加以外にほとんど姿を見せることなく、企業追随の御用組合であることをはっきり印象づけた。

          
               明日また、陽は昇る!

 ここまで頑張りながら、残念だという感もあるだろう。法案そのものを見たら敗北には間違いないが、しかし、この間の運動前と後とでは政治地図はかなり変わってきたと思う。どの勢力がどうということではなく、人びとの政治への意識が変わったように思う。
 これを契機に人びとの政治を見つめる目は厳しくなるだろう。
 既存の組織ではなく、ネットや各種SNSを通じての情報や呼びかけの拡散も大きく広がるだろう。

 したがって、絶望したりアパシーに陥る必要もない。
 政権をしてあの醜態にまで追い込んだ事実を成果として確認しながら、廃案に向けて、また、この醜悪な政治の終焉に向けて、改めて顔を上げて歩みを始めるべきだろう。追撃のつもりで注視を続けるべきだろう

 そうでなければ、この政権はこんどこそ憲法に規定された平和で安全に暮らすという私たちの基本的諸権利(それは300万人同胞と、2000万人の近隣諸国の犠牲の上に築かれたものなのだが)を、根こそぎ奪い去るだろう。

 もう10年以上前に、柄谷行人はいまや戦後ではなく戦前だといった。それが単なるレトリックではなくまさに現実になろうとしている。
 そうした戦前回帰を、そして戦時中への雪崩れ込みを阻止するために、今回示された力を改めて整え、新たな出発の契機としたいものだ!


 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする