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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

エンブレム問題と安保法案 類似と違い

2015-09-02 02:02:31 | 社会評論
 東京五輪のエンブレム問題が騒がしいが、大して興味がない。
 メインスタジアムでゴチャゴチャし、また今度のエンブレム問題、いっそのこと、五輪そのものを返上すべきだとすら思っている。
 東京で開催することについての私のメリットなどは全くない。
 しかし、熱心に進めている人たちには、経済効果を計算し、皮算用をしている。ようするに、スポーツの祭典というより、稼ぎのネタなのだろう。

         

 そんなわけでエンブレムそのものには関心はないのだが、しかし、取り下げの記者会見を改めてネットで見て、不快感がこみ上げてきた。ようするにここでの五輪組織委員会事務総長の武藤敏郎の言い分が全くおかしいのだ。
 彼はいう。「盗用ではないのは専門家にはわかるけれども、一般の国民が納得するかどうかが問題だから取り下げる」というのだ。
 つまり、組織委員会にはまったく瑕疵がないが、ド素人の国民が無理解だから取り下げるというわけだ。この上から目線はまったく不快である。
 「国民の皆さんの理解が得られない」というのは、当初の会見、そしてそれに続く質疑応答でも何度も何度も繰り返されている。責任は無理解なくせに騒ぎたてる国民の方にあるというのだ。

         

 この図式はどこか既視感がある。そう、いま山場にさしかかっている安保法案に対し、世論調査でも過半数が反対を表明し、それにより安倍内閣の支持率が下がっているのに対し、安倍氏や菅氏が繰り返し言っているのが、「これが戦争法案だというのは国民の無理解のせいだ」、したがって、これを説得してゆくのだというということだ。
 この「説得」というのが上から目線なのだ。説得というのは、よく知っている者が知らない者たちに教えてやるという含意がある。対等の者同士の話し合いならそれは「説得」ではなく「対話」なのだ。
 彼らに「国民との対話」という概念はまったくない。

             

 こうしてみると、五輪組織委員会にも傲慢さがあるが、安倍内閣の安保法案との違いもある。
 それは、五輪組織委員会の方が上から目線ながらも「国民の理解が得られない」として取り下げたのに対し、安倍氏は「国民の理解が得られていない」ことを承知しながら、最終的には強行採決や60日規定に基づいて、突破しようとしていることである。

 そうしてみると、五輪組織委員会の方がまだしもましかもしれない。
 安保法案も五輪組織委員会にならって取り下げるべきである。

 
 
コメント (2)
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