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莫言の小説とその映画 《序》「田母神家の人々」

2014-11-02 14:23:16 | 日記
 事の起こりはノーベル賞にある。
 本年度のノーベル物理学賞に日本人の3人(正確には一人はアメリカ籍)が選ばれた際、わが田母神俊雄氏がえたりやおうとばかりに、わが日本民族の優秀性を褒め称え、中国や韓国でノーベル賞をとった者などかつていないではないかといわゆるドヤ顔でのたもうたのである。
 すると、根っからの単細胞であるネウヨ諸氏がその尻馬に乗って、レイシストぶりをフルに発揮してリツイートのオンパレードといった始末。

 そんなもの事実であるかどうかはちょっとググれば分かりそうなものだが、その手間をかけようとはしない。なぜなら、彼らのいいたいことは「事実」に関してではなく、ようするに、日本民族がいかに優秀であるか、中韓がそれに比していかに劣等であるかという「信仰」の表明に過ぎないのだから。
 そうした「信仰」表明自体が、いかにその「劣等性」を露わにしているかという「事実」も含め、そもそも「事実」なんてどうでもよいのである。

            

 しかし、「事実」にこだわるならば、それは以下である。
   2000年 金大中(韓国) 平和賞
   2000年 高行健(中国) 文学賞
   2010年 劉暁波(中国) 平和賞
   2012年 莫 言(中国) 文学賞
 少し古いが台湾からは以下の2氏が受賞している。
   1957年 李政道     物理学賞
   1957年 楊振寧     物理学賞

 なお、学問の世界に詳しい人の情報によると、現在、世界の学会に公表される論文数は中国や韓国が急上昇しているのに比べ、日本のそれは著しい減少傾向にあるというから、いまのところ数の上では日本人の受賞者が多いが、将来は予断を許さないという。

             

 しかし、私が書きたいことはそうした「田母神家の人々」についてではない。
 実はこれは前置きであって、この件についてある友人とFBでやりとりをしているうちに、話は上に述べた中国の作家・莫言の作品に及んだという、まさにその件についてである。
 その際、原作と映画化されたものとの対比というか、その相違という話になったのだが、私は彼の作品が映画化されたものはかなり観ているのだが原作には触れていなかった。

 で、それをちゃんと検分するためにはやはり原作に当たらねばということで、今回、それを読んで感じたりしたことをその友人への報告を兼ねて述べてみようと思うのだ。
 しかし、ここまででずいぶん長くなってしまった。
 ここまでを《序》として本編の方は改めて書くこととしよう。
コメント
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