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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

晩秋の図書館と私の読書法

2014-11-20 22:47:05 | 写真とおしゃべり
 19日、県立図書館へゆく。
 ここにはなくて越境して他の図書館からの借り入れを申し込んでいる本がなかなか来ないので、カウンターへいって事情を訊く。
 「あなたのお申し込みになった書は当館にとっても必要と判断し、蔵書として購入することになりましたので、ただいま業者に発注しています。もうしばらくお待ちください」とのこと。

          

 これは、私にとっては基礎的な勉強のための本だからさほど急ぎではない。それに、新本をまず第一に手にできるというのも悪くはない。「それではよろしくお願いします」といって引き下がったのだが、こういうところはどのように本を発注するのだろう。アマゾンなら翌日には届くのだが、やはり地元の書店を通じるのだろうか。

          

 借りた本は以下のとおり。
  *ジャック・ランシエール
   『不和あるいは了解なき了解 政治の哲学は可能か』
  *ジャック・ランシエール
   『無知な教師 知性の解放について』
  *著者多数  
   『民主主義は、いま? 不可能な問いへの8つの思想的介入』

          

 最後のものは、G・アガンベン、A・バディウ、D・ベンサイード、W・ブラウン、J=L・ナンシー、J・ランシエール、K・ロス、S・ジジェクの8人による民主主義に対するアンソロジーのようなものである。
 例えば、上の2冊の著者でもあるランシエールは、最後の本では、「民主主義諸国 対 民主主義」という幾分刺激的、かつ挑発的なタイトルの一文を寄せている。「制度としてでも理念としてでもない運動としてのデモクラシー」という彼の所論が透けて見えるような論題である。

          

 断っておくが全部の論者を知っているわけではない。3人については全く知らないし、あとの人についてもおぼろげな輪郭しか持っていないといっていい。

 この三冊に、この間名古屋の書店で買ってきた、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(加藤典洋)と『献灯使(けんとうし)』(多和田葉子)の5冊が当面の読書目標だ。
 変な読み方かも知れないが、一冊づつ順に読むことはあまりしない。学生時代のように、午前中これを読んだら午後はあれと時間割のような読み方をする。飽き性なので一冊に絞ると集中力が希薄になり、かえって読みが荒くなる。困った性分だ。

          

 図書館の周りはすっかり紅葉していた。
 私のご贔屓の美術館前の南京ハゼも暗紅色に色づいていた。
 もちろん、この一帯は人の手が入った自然だが、このあたりの雰囲気はやはり好きだ。
 陽が傾くと急に冷え込んでくる。
 慌てて帰途についた。

 『人類が・・・・』は序章を読んだが、そこに出てくるウルリヒ・ベックの『リスク社会』について道草をして調べていて、ずいぶん時間を使ってしまった。むろん無駄ではなかったが。







コメント (4)
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