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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

今年の夏も終わろうとしているが・・・

2014-08-17 18:05:11 | よしなしごと
 またまた広島の方で大きな災害があった。
 犠牲者や被災者の方にはお気の毒という他はない。
 ヘリからの映像を見て、あんな山裾にまで住宅地が密集する日本の住宅事情を思った。
 同時に、最近の気象状況の変化や季節の移り行きが、以前よりもとても鋭角的になっているような気がする。

 おかげで私の地方は、時折来襲する短時間の雷雨以外、まとまった降りもなく、庭の草木に水やりが必要なほどだ。

          
          

 買い物に出かけた。35度を越えるという予報だが、湿気が少ないせいかさほどに感じない。それでも帽子をしっかりかぶって、足元は涼しく雪駄チャラチャラで出かけた。
 途中で、毎年見かける2メートルもあろうかというテッポウユリを眺める。
 もう枯れた花もあって、やがて夏の終わりとともに終わる命だ。
 花言葉は「純潔 偽れない」ということで、俗物の私にはいささか眩しい言葉だ。

 さらに行くと、槇(マキ)の生け垣に絡んだカラスウリの花を見つけた。
 この花は暗くなってから開き、朝にはもう閉じてしまうから夜でないと目撃できない。
 私は何度も見たことがあるが、その時期には携帯もデジカメももっていなかったので写真に収めたことはない。
 上は私が今日撮ったもので、一見ピンぼけに見えるがそうではない。携帯ではこの程度にしか写らないのだ。
 そこでネットで拾った夜の開花の様子も掲げておこう。
 私の撮ったものでも上の花はその開花の徴候を示しているのがお分かりでしょう。

          
          
 
 うちへ帰ったら、オッ、今年もついにやってきた、あのツクツクボウシが!
 「ツクツクホウシ、ツクツクホウシ、・・・・」と鳴いてから最後に独特の調べを2度ほど繰り返す。
 私が少年の頃過ごした大垣の郊外では、それを「ドバッチンショー、ドバッチンショー」と表現していた。そして、これには意味があって、「ヤ~イ、バチが当たったろう」というのだそうだ。
 なぜツクツクボウシに「このバチあたりめが!」といわれねばならないのかはもちろん分からないが、やはり、いろいろ懺悔すべきものをもつ身としてはなるほどとも思う。

    誰が罪を 責めて夜半の 蝉しぐれ

 と、いうのは私の旧作の川柳である。

 ツクツクボウシが鳴くと夏の終わりは近い。
 季節の変わり目に、もう大きな災害は起きないことを祈っておこう。
 
コメント (1)
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