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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

日航123便墜落事故とトンデモ陰謀説について

2014-08-13 01:30:23 | 社会評論
 520人の犠牲者を出した日本航空123便墜落事故からもう29年目になるという。私は当時、この事故を仕事帰りの深夜のカーラジオで知った。しかし、その折はまだ、墜落現場も特定できず、さまざまな情報が錯綜していたのを記憶している。

          

 昨日、Wikiなどで当時の状況を再確認していたら、そのすぐ下にあるとんでもないブログの記事に出会った。
 それによれば、あの事故そのものが日米合同の軍事訓練の際に発射された小型核ミサイルによる撃墜事件だったというのだ。
 
 場所の特定に手間取ったのと、当時はまだ夜間の山地での救助が困難だったことなどからして、実際の救助活動は翌朝からになったのだが、そのブログによれば、実は夜間にすでに別の自衛隊の部隊が現場に到達していたというのだ。
 そこで彼らがしたこととは、実際にはまだ100名ほどいた生存者を撃墜の証拠隠滅のために火炎放射器で焼き殺したという驚くべき「事実」であった。

 もちろんこれはトンデモ説のひとつなのだが、それにしてもその例証のためのエネルギーは凄まじく、傍証などの枝葉も含めると膨大なボリュームのブログである。
 なぜこんなにも精力的にこんなくだらないことを延々と書き続けるのかというと、どうやらこのブログ主は、旧約聖書以来の世界史的ユダヤ陰謀説の信奉者で、世界は彼らの浸透によって危うくなっているということらしい。彼のいう、「ユダヤ教パリサイ派」の陰謀は、この日航機墜落事故にかぎらず、9・11から3・11(地震津波誘導核爆発による)に至るまで、すべてがそれによる攻勢だというのだ。
 世界のほとんどはすでにその勢力に屈し、日本でもかなりの部分が彼らに侵食されているらしい(29年前、すでに自衛隊が侵食されていた?)。

 こんなバカバカしいものと思ったが、それに付けられたコメントを見て驚いた。高校生などの若い人たちがこれに賛同し、「目から鱗がとれた」とか、「学校での歴史の授業は陰謀派の洗脳にすぎなかったのだ」とかいったことを続々と書き込んでいるのだ。

          

 私はこれらに接して、気色の悪さと胸くその悪さを禁じえず、吐き気を催すほどであった。
 もちろん、こうしたトンデモ説が横行しているのを知らなかったわけではないし、ほかでも度々お目にかかっている。だから、どうしてこんなに無性に腹が立つのか最初は分からなかった。

 しかし、そのうちに、前にもこうした思いがこみ上げてきたことに思い当たった。
 それはもっと若い頃のことだが、列車でたまたま隣に座り合わせたおばさんがカルト的な教団の信者らしく、私に話しかけてきて次のような問いを発してきたのだ。
 「あんたは、どうして伊勢湾台風で名古屋のひとがたくさん死んだのか知ってるか」
 「え?どうしてですか」
 「それはな、私らの教団が名古屋では少なかったからだ」
 と彼女はドヤ顔で得意気に私を諭しにかかった。
 私は急に怒りがこみ上げてきて少し声を荒らげていった。
 「あなたは、名古屋でひとがたくさん死んで、自分たちの教義が立証されたというので嬉しいんですか」
 私はこういい捨ててまだ降りる駅ではなかったが席を立った。

          

 そう、この時と同じ怒りである。
 このブログ主は、御巣鷹山で520人の人々が命を失ったことを自らの陰謀説の証として(もっともそれ自体彼の後出しジャンケンのような論理だが)喜んでいるのだ。9・11の死者も、3・11の膨大な死者も、彼の陰謀説を立証する道具にしかすぎず、それが悲惨であればあるほど、彼は嬉しいのだ。

 陰謀説というのは、この複雑にして錯綜した世界を、一元的で透明にして見せる麻薬のようなものである。一旦これを手に入れると、世界のどんな事象も、彼にとっては極めてわかりやすいスッキリしたものとして示される。

 それだけなら罪がないといえるが、この陰謀説には暴力や残虐が内在している。彼らによれば悲惨の大きさは彼らの説の正しさに比例するかのようである。
 それはかつて私に話しかけてきたおばさんと上のブログ主とに共通する態度である。彼らに死者を悼む気持ちはいささかもない。死者は、彼らの教義を立証する道具にしか過ぎない。

          

 もっと怖いのはこの陰謀説が実際に権力と結びついた場合だ。
 中世の魔女狩りがそうだったし、前世紀のナチズムがそうであった。
 そしてスターリニストたちも、CIAの陰謀にそそのかされた者として無数の「同志たち」を粛清したのであった。

 最後に言い添えると、陰謀論者たちは一見、理性を欠いているように見えるが実はそうではない。この世界を一元的で透明なものとして秩序づけたいとするのも理性の一つの働きなのである。
 オウム真理教の信者に高学歴者が多かったのもそれ故である。
 世界とは何であり、自分は何であらねばならないかという問いを立て、それに安易に答えようとするとき、陰謀論の落とし穴が待っている。
 そしてそれにもっとも引っかかりやすいのが、理性的であろうとする欲望だといえる。
 かつて、それに近かった私がいうのだから間違いない。

 以下に、私が吐き気をもよおしたブログのアドレスを記すが、お読みにならないほうがいいだろう。理性的でありたいとお望みのあなたが、その虜になると困るから・・・。

 http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html
コメント (4)
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