雨上がりの一日、買い物かたがた散歩に出た。
買い物袋をぶら下げての散歩も無粋だから、まずはその辺をほっつき歩き、なまった体をほぐしてから買い物にゆくことにした。
このへんの田植えは遅い。まだ田慣らしが終わったばかりで、その田には水も張られてはいない。
苗代を見かけたが、まだ田植えをするほど育ってはいないようだ。
おそらく、来月に入ってからだろう。
あちこちでねぎぼうずが拳を振り上げている。
よく見ると、白い花の塊のなかに、もう黒っぽい実が宿っている。
四角にガードされたのはナスの苗である。
畑のなかに突然の人工物で、そのコントラストが面白い。
都会に住む人たちは、玉ねぎというのは水仙などと同様、球根として地中にあると思っているのではあるまいか。しかし実態は写真のようである。
これと似た話がある。もう季節は過ぎたが、蕪も同様に地上に出ている方が多いのだ。
ロシア民話の『おおきなかぶ』の挿絵などで、蕪が地中に埋まっているものには違和感を覚える。その絵を書いたひとは実際の蕪を見たことがないのだろう。
このへんのジャガイモの花は、だいたい薄紫のものが多いのだが、純白のものが目に入ったので近づいていったら、10坪余の小さな菜園にいろいろな種類の野菜が育っていて、傍らに、そのオーナーと思しき人が佇んでいる。年齢はほぼ私と同程度だろうか。
「このジャガイモの花、写真に撮らせて頂いてよろしいですか」と許可を求めると、「ああ、どうぞどうぞ」と快諾してくれたのだが、同時に、「ここにはなになにの種が蒔いてあるので、この辺まで立ち入って頂いて結構です」と親切に足のやり場まで指示してくれる。
写真を撮りながら、二つのことに気づいた。
この菜園は狭いながら実に手入れが行き届き、雑草一本生えていない。
この近くに、300坪ぐらいで復数の人が菜園を共同で持ち、それを管理しているところがあるが、そこでは、耕作を放棄した人の箇所は八重葎であるし、耕作を続けている人たちもそのボーダーにまで手がまわらないのか、全体に雑然とした感は否めない。そこへゆくと、ここは実にきちんとしているのだ。
もう一つは、そのオーナーがどうしても地の農家の人ではないということだ。
その服装など、私のだらしなさに比べたらはるかに洗練されている。
言葉つきも丁寧である。
写真を撮り終わってから、少し話をした。
「ご趣味の菜園でしょうか。それにしてもたくさんのものを栽培していらっしゃいますね」
「そうですね、今のところ、12種類ほど栽培しています。ほかに、ホラ、無花果が一本、そして将来はここをドウダンツツジで囲もうとしているところです」
それにしても性格の律儀さが現れた空間である。
「どうしてまた、こんな小宇宙を構想されたのですか」
「実はですね、悪性の胃癌ができて全摘手術を受けましてね、それ以来、仕事も一線を引いて、前々から夢であった菜園をやろうと思ったのですよ」
「えっ、あ、そうですか」
と、なんか頓珍漢な私の応答。
「それで最初はですね、この数倍の面積を買いましてね、それで始めたのですが、どうも病後の体でとても無理だと思って、殆どを駐車場にし、これだけ残したのです」
なるほど、この菜園の地続きには三台ほど駐車できるスペースがあって、このひとが乗ってきたらしい車が停まっている。
「で、その全摘手術とうのはいつ頃なさったのですか」
と私が尋ねる。
「今年で五年目です」
と、彼はこの間の治療の概略、抗癌剤や放射線治療に伴う副作用の苦しさなどを淡々と語った。
「じゃあ、もう大丈夫ですね」
と、私。
「いやあ、どうでしょう。今年の検診がクリアーできれば少し気が楽になるのですが」
このひと、どうやら会社のオーナーらしくて、午前中は会社に少し顔を出し、午後はここへ来て植物たちと会話をするのが楽しみなのだという。
「どうもおじゃましました」とその場を辞する私に、「お話出来て良かったです」といってくれた。
これからも、ときどき、この菜園を見にゆこうと思う。
しかし、ある時から、ここが荒れ放題になっていたらどうしよう。
「イヤイヤそんなことは」と悪い予感を振り払いながら、その場を離れた。
話し込んだおかげで買い物が遅れた。
通りかかった「マイお花見ロード」はすっかり葉が繁り、そのもとにイモカタバミの群落がピンクの花を敷き詰めていた。
買い物袋をぶら下げての散歩も無粋だから、まずはその辺をほっつき歩き、なまった体をほぐしてから買い物にゆくことにした。
このへんの田植えは遅い。まだ田慣らしが終わったばかりで、その田には水も張られてはいない。
苗代を見かけたが、まだ田植えをするほど育ってはいないようだ。
おそらく、来月に入ってからだろう。
あちこちでねぎぼうずが拳を振り上げている。
よく見ると、白い花の塊のなかに、もう黒っぽい実が宿っている。
四角にガードされたのはナスの苗である。
畑のなかに突然の人工物で、そのコントラストが面白い。
都会に住む人たちは、玉ねぎというのは水仙などと同様、球根として地中にあると思っているのではあるまいか。しかし実態は写真のようである。
これと似た話がある。もう季節は過ぎたが、蕪も同様に地上に出ている方が多いのだ。
ロシア民話の『おおきなかぶ』の挿絵などで、蕪が地中に埋まっているものには違和感を覚える。その絵を書いたひとは実際の蕪を見たことがないのだろう。
このへんのジャガイモの花は、だいたい薄紫のものが多いのだが、純白のものが目に入ったので近づいていったら、10坪余の小さな菜園にいろいろな種類の野菜が育っていて、傍らに、そのオーナーと思しき人が佇んでいる。年齢はほぼ私と同程度だろうか。
「このジャガイモの花、写真に撮らせて頂いてよろしいですか」と許可を求めると、「ああ、どうぞどうぞ」と快諾してくれたのだが、同時に、「ここにはなになにの種が蒔いてあるので、この辺まで立ち入って頂いて結構です」と親切に足のやり場まで指示してくれる。
写真を撮りながら、二つのことに気づいた。
この菜園は狭いながら実に手入れが行き届き、雑草一本生えていない。
この近くに、300坪ぐらいで復数の人が菜園を共同で持ち、それを管理しているところがあるが、そこでは、耕作を放棄した人の箇所は八重葎であるし、耕作を続けている人たちもそのボーダーにまで手がまわらないのか、全体に雑然とした感は否めない。そこへゆくと、ここは実にきちんとしているのだ。
もう一つは、そのオーナーがどうしても地の農家の人ではないということだ。
その服装など、私のだらしなさに比べたらはるかに洗練されている。
言葉つきも丁寧である。
写真を撮り終わってから、少し話をした。
「ご趣味の菜園でしょうか。それにしてもたくさんのものを栽培していらっしゃいますね」
「そうですね、今のところ、12種類ほど栽培しています。ほかに、ホラ、無花果が一本、そして将来はここをドウダンツツジで囲もうとしているところです」
それにしても性格の律儀さが現れた空間である。
「どうしてまた、こんな小宇宙を構想されたのですか」
「実はですね、悪性の胃癌ができて全摘手術を受けましてね、それ以来、仕事も一線を引いて、前々から夢であった菜園をやろうと思ったのですよ」
「えっ、あ、そうですか」
と、なんか頓珍漢な私の応答。
「それで最初はですね、この数倍の面積を買いましてね、それで始めたのですが、どうも病後の体でとても無理だと思って、殆どを駐車場にし、これだけ残したのです」
なるほど、この菜園の地続きには三台ほど駐車できるスペースがあって、このひとが乗ってきたらしい車が停まっている。
「で、その全摘手術とうのはいつ頃なさったのですか」
と私が尋ねる。
「今年で五年目です」
と、彼はこの間の治療の概略、抗癌剤や放射線治療に伴う副作用の苦しさなどを淡々と語った。
「じゃあ、もう大丈夫ですね」
と、私。
「いやあ、どうでしょう。今年の検診がクリアーできれば少し気が楽になるのですが」
このひと、どうやら会社のオーナーらしくて、午前中は会社に少し顔を出し、午後はここへ来て植物たちと会話をするのが楽しみなのだという。
「どうもおじゃましました」とその場を辞する私に、「お話出来て良かったです」といってくれた。
これからも、ときどき、この菜園を見にゆこうと思う。
しかし、ある時から、ここが荒れ放題になっていたらどうしよう。
「イヤイヤそんなことは」と悪い予感を振り払いながら、その場を離れた。
話し込んだおかげで買い物が遅れた。
通りかかった「マイお花見ロード」はすっかり葉が繁り、そのもとにイモカタバミの群落がピンクの花を敷き詰めていた。