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私の新春コンサートと「第六」の思い出

2014-01-12 02:04:57 | 音楽を聴く
 岐阜サラマンカホールで行われた中部フィルのニュー・イヤー・コンサートに出かけた。開演前のロビーでは新春風景満載で浮き立っていた。
 開演前には鏡割りが行われ、樽酒が振る舞われた。飲み放題状態だがいい気持ちになって寝てしまってはいけないので一杯でやめた。飲み干した盃を持ち帰っていいとはさすが美濃焼の産地だけあって気が利いたサービスだ。ちょっとシックなぐい呑みを一個いただいた。

           

 堀俊輔指揮による中部フィルハーモニー交響楽団の演奏曲目は、第一部がベートーヴェンの第六「田園」で、第二部がウィンナー・ワルツやポルカ、それにジョン・ウィリアムズの映画音楽などだった。

 ここまで読んだだけで、ヘビイなクラシックファンは「まあ、ニュー・イヤー・コンサートなんてそんなものだ」とそっぽを向くかもしれない。「単なるファンサービスの軽~い仕事だろう」というわけだ。
 しかし、すでに功なり名を遂げたオケではそれに近いものがあるかもしれないが、地方都市(愛知県小牧市)で産声を上げて10年余のこのオケにはそんな余裕はない。

           

 まずは日頃、クラシックに馴染みのない層にもこうした機会を通じてその素晴らしさを実感せしめ、かつ、自分たちのオケを印象付けるために懸命なのである。そうした態度は、プログラム構成からその演奏、その前後の配慮などに十分現れていた。
 だから私は、それらを楽しみながらも、一方ではその応援団になった気持ちで彼らの熱意を受け止めていた。
 ベートーヴェンの第六は新春にふさわしい清々しい演奏で、フルート、オーボエなどの管が大活躍をしていた。

           
 
 この六番にはいろいろ思い出がある。
 高校生の頃、私が最初に買ったLPレコードがベルリン・フィルに華々しくデビューしたカラヤンの「第六」であったが、それといっしょに私が買ったのは、なんと村田英雄の歌謡曲集であった。
 これには深慮遠謀があって、当時、手回しに近い再生装置しかなかったわが家に、もう少しマシなものを導入すべく、父の好きだった村田英雄と抱合せに買ってその関心を呼ぼうとしたのだった。
 その後、わが家に新たな再生装置が導入された記憶が無いから、私の策略は功を奏しなかったといえる。

           

 もう一つの思い出は、1991年のモーツァルト・イアー(没後200年)にザルツブルグへいった際立ち寄ったウィーンの郊外でのことであった。
 ここがベートーヴェンがよく散歩をし、田園交響曲の発想を練ったところだと案内された箇所は私のイメージしたものとはずいぶん違っていた。
 小さな小川はあったが、住宅街のはずれのようなその場所は、想像していたような牧歌的な広がりは全くなく、なんとなくせせこましくて第六の曲想とも違うものだった。
 ただし、その頃から数えても180年近い前(1808年)に作られた曲だから、その間にその環境自身が変わってしまったのかもしれない。

 そんなことを想起しながら聴く第六はどこか懐かしいものがあった。

           

 第二部はエンタメ性満開のプログラムであったが、この堀俊輔という指揮者、サービス精神旺盛というかとにかくよく喋る。カラオケに行ってもマイクを離さないタイプかもしれない。しかし、そのおかげで会場はずいぶんとなごんだ感じになった。お決まりの「ラデツキー」がプログラムにないなと思ったらやはりアンコールに登場してラストを締めくくった。

       

 その後、50年ほど前にサラリーマン生活をしている頃に出会って、今なお付かず離れず付き合いがある人と、彼が所属するグループ(ほとんどが小牧市からの遠征)のメンバーとで岐阜市内の店で夕食会に臨んだ。女性が大半ということでさして飲まない会だろうと思ったが、それがけっこう強い人たちが多く、かくいう私もけっこう飲んでしまった。

 音楽を聴いて美味いものを食って酒を飲む、極楽のようなものである。
 今夜は浮世のことは忘れて寝よう。オヤスミナサイ。

 

コメント (2)
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