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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「快方」までの騒動記と新春の散歩道

2014-01-02 18:07:48 | よしなしごと
 「快方」という言葉はいい響きをもっている。「快い方へ向かう」ということだからもちろんその意味するところもいい。
 さらに、音としても、解放や開放、快報などにも通じる。
 介抱、会報、戒法などもあるがこの際無視する。都合の悪いものは無視しないと話が先に進まない。

 快方の先に「全快」というのがあるが、悪い言葉ではないにしろいささか楽天的すぎて、そこをピークにまた凶事がやってくるような気がする。
 やはりそこへ向かっている途上の「快方」がいい。

 

 なぜそんなことを言い出したかというと、昨年12月初めの肋骨の損傷騒ぎからほぼ一ヶ月を経て、ちょうど正月に照準を合わせたように症状が和らぎほとんど痛みを感じることもなくなったからだ。

 思えば最初、痛みに耐えかねて病院に駆け込んだところ、たまたまそこの医師が休みで、大学から来た若い医師の代診だったのだが、彼は私の訴えよりも学校で習ったセオリーを優先したのだろう、バックアップとしてのレントゲンも撮らず、それは打撲で3、4日で症状は収まりますと断定したのであった。

 しかし、彼を責めるのはやめよう。私自身、彼の診断を聞いた折、「やれやれ、肋骨ではなくてよかった」とそれ以上追求することをしなかったのだから。
 痛みが引かないので再びその病院を訪れるまでの5日間のあいだ、私は、痛いけれどこれは打撲なのだと自分に言い聞かせ、ちょっと寝返りを打ったり、咳やくしゃみでも飛び上がるほど痛いのに耐えたのであった。

 

 しかし、痛みはまったく引かない。ちょうど予定が立て込んでいたのでその間、名古屋へも二度出かけたが(うち一回は刈谷まで足を伸ばした)、痛みに耐えながらの歩行はきついし、じっと座っていてもジンジンと痛みが感じられて不快極まりなかった。

 車を運転していても左手でのハンドル操作やシフトチェンジがままならなくて危険を感じた。自転車は段差に差し掛かるとハンドルをもつ左手を通じて痛みが走るので、段差の箇所では左手をハンドルから離すようにした。

 耐えかねて病院を再訪した私を、今度は院長が診てくれて、レントゲンを取り、肋骨二本の損傷を確認し、コルセットや貼り薬の手配をしてくれた。そして無理な動きはしないようにといわれた。

 それ以来、自転車には乗らず、車の運転も控えた。歩くこともあまりしなかった。とにかくあまり体を動かさないでひたすらじっとしていた。
 そのせいあってか、症状が収まった状態で新年を迎えることができた。

 

 しかし、そのおかげで意外なところに弊害が出た。170センチ、58キロという体型が崩れてしまって、2キロ強の増加で、体脂肪率も上昇している。
 これはピンチだ。つい最近まで、街を歩くと「どちらに所属していらっしゃるモデルさんですか」と尋ねられたのに・・・。

 で、その対策として好天なのを利用して少し歩くことにした。3日の締め切りの仕事を頑張って元旦の夜にほぼこなしたのでゆったりできる。
 正月の2日となると、昨日よりも人出は少ないようで、なんとなく空気も澄んでいる。
 新しい年といってもいろいろ不安はある。しかし、それらを拭うようにしてあちこち目に映るものを追いながら散策に没頭した。

 郊外の人気のない一帯というロケーションのおかげで小鳥にも出会えた。
 写真には撮れなかったが、美味しそうな(コラッ)ツグミとこの辺りではあまり見かけないジョウビタキを見ることができた。
 ここに載せた写真は散歩の途次の情景などである。
 
 うちへ帰ってから、アルトゥール・ルービンシュタインのピアノでショパン「夜想曲」第一番から遺作の第一九番までの二枚組を聴く。録音は1965年。このひと、亡くなってからもう30年以上経つのだが、そうとは思えないほどのみずみずしい香り立つような演奏だと思う。

 今日はほとんど人と出会うこともなく過ごしたのだが、それなりにいい一日だったと思う。


コメント (4)
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