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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

幽霊が買いに来た飴を舐めながら・・・

2011-09-21 15:51:46 | よしなしごと
 娘が誰かに京土産の飴をもらってきた。
 板状のものを無造作に切ったような形状で、舐めてみると特にこれといったわけではないが、麦芽で作った素朴な甘みがどこか郷愁をそそる。

 ところでこの飴、素朴な割に「幽霊子育飴」といささかおっかない名前が付いている。私のような野次馬根性旺盛なジジイにとっては格好の標的である。地獄の閻魔へのみやげ話にと早速その由来を調べてみた。
 といっても調べるまでもなく、その由来を書いたものが飴の梱包に付けられている。一部省略したが以下がそれである。

        

 《今は昔、慶長4年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り起こしてみればなくなりし妻の産みたる児にてありき。
 然るに、その当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて、幼児掘り出されたる後は来らざるなりと。
 この児、八才にて僧となり修業怠らず成長の後遂に高名な僧になる。(略)
 さればこの家に販ける飴を誰いうとなく「幽霊子育ての飴」と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。(略)》


 
 墓のなかで産み落とされた赤ん坊はさぞかし怖かったであろうと思うのだが、考えてみればその世界しか知らないのだし、夜な夜な幽霊母さんがおいしい飴を運んできてくれるのだから結構幸せだったのかも知れない。

 むしろ掘り起こされ、娑婆の空気に当たってからのほうがいろいろつらく、したがって出家をしたのではあるまいか。
 高僧になったというが、幽霊母さんが運んでくれた飴の味をちゃんと覚えていたのだろうか。

 そんな愚にもつかない余分なことを考えながら、今、その飴を舐めている。
 ウン、この素朴な味はとてもいい。
 生後一週間で実母に死に別れ、その顔を知らない私にとっては、まさに幽霊となった母が運んできてくれた味なのかも知れない。

コメント
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