以下は、30日の拙日記についての補足です。
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長良川河口堰は最初から工業用水をとることを目的としていました。
高度成長期の毎年20%の右肩上がりが永久に続くと思い、そうすると、愛知県や三重県の工業地帯で水が足らなくなるだろうと考えたバカな役人と土建屋が企んだのです。
こんなグロテスクなものが自然の中にわがもの顔で・・・
ところがどっこい水は完全に余り名古屋市も三重県も分担金を払ってまでそんなものは要らないと言い出したのです。
やれ、高潮対策だ、塩害対策だ、洪水時の調整だ、などという言い分は、これが無用の長物で、ただただ環境破壊をするものだということが公然となった段階での後出しじゃんけんのようにいい出されたものです。
4,000億円の税を使い、徳山村という村を全村水没させて出来た全国有数の徳山ダム(揖斐川上流)もそうです。
出来たものの、このダム、何の使い道もないのです。
そこではじめたのが休日などの「観光放水」です。
国民は、自分たちの税が虚しく「放水」されるのを見せられるのです。
全村民を追い立てて出来た徳山ダム しかしその用途は?
それだけならまだしも、さらに1,000億の税を投じて、そのダムの水を木曽川や長良川に導水しようというのです。ダムの底にたまった死水を長いトンネルを掘って導水するというこの計画は、この水を流される川の生態系がこれにより著しく損傷されることを一顧だにしていません。
こうなると作ってしまったという意地と既成事実、そしてそれらを正当化するためにさらに悪行を重ね、その結果としてまたもや土建屋が儲かるという仕組みが見え透いています。
私も時折参加している長良川市民学習会では、「長良川に徳山ダムの水は要らない」と、「長良川河口堰を試験的にでもいいから解放せよ」という主張をしていて、私も先般、個人的に県に意見書を出したのですが、まさに木で鼻をくくったような官僚の作文が返ってきたのみでした。
長良川はかつて、四万十川などと並んでダムのない有数の川、川と海との有機的な往還運動が見られる川であることを誇りにしていました。
人工的に作った鮎の稚魚など放流しなくとも、伊勢湾から登る鮎で川があふれていたのです。
岐阜市民としてこんなことは書きたくないのですが、今年の長良川の鵜飼いでは鮎の捕れる数が著しく減ってしまったのです。それは鵜匠たちをも戸惑わせるものでした。一艘の舟が、3匹しか獲らなかったこともあるようです。
かがり火のもと、鮎が潜り、見事に鮎を捕らえ、誇らしげにそれを水面上で披露するとき、周りの観光船からどっと拍手が湧くのですが、そんな光景がめっきり減ったのです。
今年の異常気象による一時的なものか、それとも川そのものの変質によるものかは今のところ不確定ですが、川漁師の人たちの見解では、年々変化はあるが長期的には確実に川の資源は減少しているとのことです。
私がガキの頃、長良川は水生動物にあふれていました。少し潜れば魚たちが往来するのが見えましたし、橋の上からは、苔をはむ鮎の反転がきらめいていたものでした。
こうした環境悪化が進行中の地元で行われるCOP10という会議が、「生物多様性」を掲げ、「希少絶滅生物」を看板に掲げながら、その実は子供たちに一般的抽象的な歌や芝居(「自然と大切にしなければいけないね」「そうだね、そうだね」)をさせるのみで、その実は資源の売買交渉の場であったとしたら、これっていったい何なの?といいたいわけです。
COP10は無事終了したといわれます。
途上国の生物資源の売買価格が決まったというのです。
ようするに、「多様生物売買価格」や「希少生物商品化プラン」がまとまったということです。
そんなことのために、多額の税金を使った会議を招致し、幼稚園の子供たちを動員して臭い芝居などさせるなといいたいのです。
世の中は得てしてこうした欺瞞によって成り立っています。
名古屋を中心とした生物の多様性が今どのような状況にあるのかは一切顧みられることもなく、そしてその改善には何の関係もなく、この会議は「無事」 修了したのでした。
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長良川河口堰は最初から工業用水をとることを目的としていました。
高度成長期の毎年20%の右肩上がりが永久に続くと思い、そうすると、愛知県や三重県の工業地帯で水が足らなくなるだろうと考えたバカな役人と土建屋が企んだのです。
こんなグロテスクなものが自然の中にわがもの顔で・・・
ところがどっこい水は完全に余り名古屋市も三重県も分担金を払ってまでそんなものは要らないと言い出したのです。
やれ、高潮対策だ、塩害対策だ、洪水時の調整だ、などという言い分は、これが無用の長物で、ただただ環境破壊をするものだということが公然となった段階での後出しじゃんけんのようにいい出されたものです。
4,000億円の税を使い、徳山村という村を全村水没させて出来た全国有数の徳山ダム(揖斐川上流)もそうです。
出来たものの、このダム、何の使い道もないのです。
そこではじめたのが休日などの「観光放水」です。
国民は、自分たちの税が虚しく「放水」されるのを見せられるのです。
全村民を追い立てて出来た徳山ダム しかしその用途は?
それだけならまだしも、さらに1,000億の税を投じて、そのダムの水を木曽川や長良川に導水しようというのです。ダムの底にたまった死水を長いトンネルを掘って導水するというこの計画は、この水を流される川の生態系がこれにより著しく損傷されることを一顧だにしていません。
こうなると作ってしまったという意地と既成事実、そしてそれらを正当化するためにさらに悪行を重ね、その結果としてまたもや土建屋が儲かるという仕組みが見え透いています。
私も時折参加している長良川市民学習会では、「長良川に徳山ダムの水は要らない」と、「長良川河口堰を試験的にでもいいから解放せよ」という主張をしていて、私も先般、個人的に県に意見書を出したのですが、まさに木で鼻をくくったような官僚の作文が返ってきたのみでした。
長良川はかつて、四万十川などと並んでダムのない有数の川、川と海との有機的な往還運動が見られる川であることを誇りにしていました。
人工的に作った鮎の稚魚など放流しなくとも、伊勢湾から登る鮎で川があふれていたのです。
岐阜市民としてこんなことは書きたくないのですが、今年の長良川の鵜飼いでは鮎の捕れる数が著しく減ってしまったのです。それは鵜匠たちをも戸惑わせるものでした。一艘の舟が、3匹しか獲らなかったこともあるようです。
かがり火のもと、鮎が潜り、見事に鮎を捕らえ、誇らしげにそれを水面上で披露するとき、周りの観光船からどっと拍手が湧くのですが、そんな光景がめっきり減ったのです。
今年の異常気象による一時的なものか、それとも川そのものの変質によるものかは今のところ不確定ですが、川漁師の人たちの見解では、年々変化はあるが長期的には確実に川の資源は減少しているとのことです。
私がガキの頃、長良川は水生動物にあふれていました。少し潜れば魚たちが往来するのが見えましたし、橋の上からは、苔をはむ鮎の反転がきらめいていたものでした。
こうした環境悪化が進行中の地元で行われるCOP10という会議が、「生物多様性」を掲げ、「希少絶滅生物」を看板に掲げながら、その実は子供たちに一般的抽象的な歌や芝居(「自然と大切にしなければいけないね」「そうだね、そうだね」)をさせるのみで、その実は資源の売買交渉の場であったとしたら、これっていったい何なの?といいたいわけです。
COP10は無事終了したといわれます。
途上国の生物資源の売買価格が決まったというのです。
ようするに、「多様生物売買価格」や「希少生物商品化プラン」がまとまったということです。
そんなことのために、多額の税金を使った会議を招致し、幼稚園の子供たちを動員して臭い芝居などさせるなといいたいのです。
世の中は得てしてこうした欺瞞によって成り立っています。
名古屋を中心とした生物の多様性が今どのような状況にあるのかは一切顧みられることもなく、そしてその改善には何の関係もなく、この会議は「無事」 修了したのでした。