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長良川を殺さないで欲しい! 官製 vs 市民大会

2010-06-07 03:59:20 | 社会評論
 第三十回「全国豊かな海づくり大会」という官製の催しが6月の12日13日の二日間にわたって岐阜で行われます。
 海なし県の岐阜で行われるのは滋賀県に次いで二回目で、海と山林や河川の有機的なつながりがやっと認識され始めたという点では評価すべきだと思います。

  
 
 地方自治体や小学生などを動員して様々な行事が企画されています。しかし、それらの行事がまことに形式的一般的で、まったく具体性に乏しいのです。
 「海をきれいにするには山や川をきれいにしましょう」・・・まことに結構な話でその通りなのですが、そのための現実的問題をきれいさっぱり素通りし、一般的な徳目やお説教に終始してしまっているのです。

  
 
 この大会は「ぎふ長良川大会」と称しているにもかかわらず、長良川で現在、まさに切実なに問題となっていることにすべて目をふさぎ続けようとしています。

 かつて、長良川は全国有数の清流として、その豊かな生態系を誇ってきました。たとえばその流域の人たちは、この川の鮎にまさるものはないと自慢していました。鮎のみならず、サツキマスなど海との循環が保証されている川として有名でした。
 しかし、その清流が今、危機に瀕しています。魚の種類も数も減少し、その生き残ったものたちも、小さく弱々しいものになってしまったのです。かつて、掌に握るに余るような鮎がいなくなってしまったのです。

  

 この間、何があったのでしょうか。
 長良川に限っていえば、明らかなのは河口堰の建設です。
 この運用から15年、この堰付近の日本有数のシジミ漁場は壊滅しました。
 長良川へ遡上する天然魚は、鮎やサツキマス、藻屑ガニなどをはじめ激減しました。もはやかつてのように最上部から海までの循環を誇っていた川が失われたのです。

 これだけ虐められた長良川を、さらに虐待する案が実現されつつあります。それは、4,000億円をも投じたにもかかわらず、なんの役にも立っていない揖斐川水系の徳山ダムの水を、さらに1,000億の税を使って、長良川や木曽川に誘導しようという事業です。
 この導水路にはなんの合理的な理由もありません。ただただ、4,000億を無駄遣いした言い訳のために,さらに税金を使ってアリバイをつくろうとするものに過ぎません。

     
  
 しかも、長良川などに導水される水は、徳山ダム底辺の水温も低く有機性を欠いた「死水」であり、それらが他の河川の生態系を著しく損なうことは誰の目にも明らかなのです。

 これらの問題にちゃんと向き合うのが「全国豊かな海づくり大会 ぎふ長良川大会」の差し迫ったテーマなのだと思うのですが、それらはこの大会の公式HPのどこにも見いだすことは出来ません。

  

 やはり、官製の公式の会議は、これまでの「政・官・財」の癒着の構造を俎上に乗せることは出来ないばかりか、それを追認するプロパガンダに堕しているのです。
 結果として、「海をきれいにしましょう・川もきれいにしましょう」という虚しい一般的なお題目が繰り返されて終わる他はないのです。
 そればかりか、うっかりすると、またもや土建屋優遇の変な案が登場しかねないのです。

 こうしたお上の形ばかりの「大会」に対して、6月5、6日、市民による「豊かな海づくり大会」が催されました。上流域の山林業者から中流域の川に親しむ人、小瀬、長良、犬山の鵜飼いに関わりの深い方、長良川の魚類で佃煮をつくっている老舗の方などなど長良川と共に生きてきた土着ともいえる人々、加えて、国交省の全く恣意的なデータのでっち上げに抗して、地道な研究成果をもつそれぞれの専門分野の学者たちの貴重なコメントが披露されました。

 総じていって、長良川そのものが、そしてそこに住む水生動物が、この間、非常に疲弊し、危機的状況にあること、それらが一般的な環境の変化に加え、長良川の場合、全く無用の長物であるコンクリート行政のたまもの、長良川河口堰によってもたらされていることは共通の認識でした。

 大会は最後に、誕生したばかりの菅内閣総理大臣宛に、「長良川河口堰の試験解放の実施」と、現在計画中の「徳山ダムの死水を長良川へ導入することの中止」を申し入れるアピールを採択して終わりました。

  

 会場を出ると、初夏の長良川は、人の欲望に耐えるかのように清冽な姿を見せていました。しかしその内実が、私が半世紀以上見続けてきた過程で随分違ってきてしまったことを知った今、その流れのけなげさに改めて感慨を覚えるのでした。

 

コメント (4)
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