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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

夜汽車への感傷がクロネコさんへの感傷になってしまうわけ

2010-05-21 03:56:44 | よしなしごと
 雨が上がってもなんか蒸し蒸しするので、窓を開け放って読書などしていました。それに疲れて、今はボーッとしています。
 日付が変わる時間帯には、すぐ前の道路を往来する車の数もうんと減って、時折アクセントを付けるように近づき、去って行きます。

    

 そして代わりに、今までバックグラウンドだった遠くの音がよく聞こえます。
 ざわめくような音は、少し離れた22号線を走る車の音です。こちらの方は深夜でも遠距離トラックなどの往来がかなりあるようです。
 私の部屋は二階ですから、窓を開けているとけっこう遠くの音が拾えます。

    

 22号線よりかなり遠くで、列車の音がします。東海道線を走る夜汽車ですが、その音を耳で追っていると、上り列車か下り列車かもわかります。
 今のは、上りだと思います。

 夜汽車の音に関しては、人の悲喜こもごもを乗せて走るという意味でいささかの感傷に駆られたものですが、それも一昔前の話で、いまや私たちは、その夜汽車にはもうほとんど人が乗っていないことを知ってしまったのです。
 都市間の長距離移動は新幹線の分野で、在来線を走る夜間の旅客列車はもはやほとんどなくなりました。

    

 私が聞いているこの夜汽車の音は、その大半がたぶん、宅配便のコンテナを都市から都市へと運ぶものなのです。
 ですから、この夜汽車に感傷を覚えるとしたら、それはクロネコさんやペリカンさん、あるいはカンガルーさんへの感傷になってしまうわけです。

 でもまあ、考えてみれば、人が乗っていようが動物のロゴを付けた荷物が乗っていようが、夜汽車の音は夜汽車の音、そこそこ感傷をくすぐるものがあります。
 あ、またやってきました。あの音は、木曽川の鉄橋を渡って岐阜方面への下りのようです。けっこう頻繁に行き来しているものだとわかります。

    
 
 話は変わりますが、ヨーロッパなどへ行って、思いっきり鉄道に身をゆだねてみたいものです。
 シベリア鉄道や北米の大陸横断鉄道、オーストラリアの大陸横断鉄道、あるいは、最近中国で開通したチベット鉄道のように、ひたすら荒野を走るものには興味はあるものの、実際に乗るとなると実感は湧きません。
 また、日本の新幹線に類似したただただ早いだけのものにも興味は持てません。

    

 やはり、もう少し変化に富んだ自然や町々が入れ替わり立ち替わり現れるのが好みです。ビュッフェで赤ワインなど傾けながら、雪の頂を赤く染めて暮れなぞむアルプスなど見ることが出来たら、そのまま死んでもいいと思います。


本当は、ここんところ、あとから読んで自分でも胸くそが悪くなるような愚痴っぽい泣き言を書いて来ましたので、それへの自己批判を書くつもりでしたが、しばらく延期します。

 
  

コメント (4)
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