中山道は加納宿(現岐阜市南部)にある天満宮の秋祭りに行って来た。
などと書くと、大した祭りに行って来たようだが、実は、私が子供の頃この近くに住んでいたこともあって、その頃は幾度となくいったお祭りなのだ(実はここで結婚式も挙げた)。
だが、今回は実に久しぶりであった。
本殿をバックに、真ん中が本神輿、その右が山車(鞍馬車)
伝統のある祭りではあるが、いかんせんその運営には苦労が忍ばれる。
最近はやりの商店街の祭りのように、エコノミーの延長として街ぐるみで行われるといったこともない。
また外部から観光客が呼べるほど著名な祭りでもない。
いや、昔は町ぐるみの祭りだったのだろうが、地域社会の変貌とともに、かつての氏子制度もあまり機能せず、ほとんど中心メンバーのボランティアによって行われているようだ。
そして、昔は近郷近在から善男善女集まったのだが、近年の娯楽の多様化の中ではそれもままならない。
若い人には信じられないだろうが、昔は、いついつはどこそこの祭りなどとカレンダーに印を付け、それらを見物に行ったものである。
最後に本殿前で気勢を上げる神輿。元気な女性達
さて、私の出かけたお祭りの話に戻ろう。
先に、運営の苦労が忍ばれると言ったが、その労苦の成果は上がっていると思う。
私の子供の頃よりも、催しもいろいろ多彩で、写真で見て頂くようにカラフルなのだ。
カラオケ大会のような催しもあったが、それらはほんの一部で、神事や神楽舞い、御神輿、それに山車のカラクリ演技などが現代風にアレンジされていたり、わかりやすい解説付きのパフォーマンスになったりしているのだ。
名古屋は南区から応援に駆けつけた「猩々」保存会の人たち
もう一つは、他の地域との協力が見られ、たとえば、他地域の神輿が乗り込んだり、名古屋の南区からは、大男を模した「猩々」などが終日境内を往来し、子どもたちを追いかけたりして、その道化振りが人気を呼んでいた。
子どもたちの参加も微笑ましい。
神楽隊やお囃子組などで大活躍である。やはり祭りの子どもたちは活き活きと輝いている。
少年少女神楽隊の演舞
演舞を終えて楽しい会話
戦争にまつわる話が、山車の解説の中で出てきたのも印象的だった。
かつてこの町には、10基の山車があったのだが、その内の9基がすぐる大戦の空襲で灰燼に帰したという。それらの中には、残っていれば重文級のものもあったというからまことにもってもったいない話である。
真剣な面持ちでのお囃子、これに合わせてカラクリが。
ほんらいは山車の中で演奏する。
残った山車は、岐阜市の有形文化財で、カラクリの演技は無形文化財となっている。
この山車、鞍馬車といって、義経が鞍馬山の天狗に武術を習うというシーンを、お囃子と謡曲「鞍馬天狗」にのせて、人形達が演技をする。
長刀がクルクル回るシーンなどでは観客から思わず拍手が湧く。
山車・鞍馬車のカラクリ演技
私はかつて、商店街の祭りの実行委員長などつとめたことがあるので、これだけの催しを執り行う準備と苦労の厳しさはよく分かる。
だから、もっと多くの人がやってくればいいと思う。確かに神社は神道の場ではあるが、ここには靖国のように血なまぐさい神とは違う、地域に溶け込んだ伝統的な鎮守の神がいるのみである。
このおっさん、カラクリに合わせて義経のつもり。日本一面白い義経。
観光化した祭りでも、商店街の祭りでもなく、地域の祭りもなかなか捨てがたいと再評価しながら、来年もまた覗いてみようかなどと思っている。
などと書くと、大した祭りに行って来たようだが、実は、私が子供の頃この近くに住んでいたこともあって、その頃は幾度となくいったお祭りなのだ(実はここで結婚式も挙げた)。
だが、今回は実に久しぶりであった。
本殿をバックに、真ん中が本神輿、その右が山車(鞍馬車)
伝統のある祭りではあるが、いかんせんその運営には苦労が忍ばれる。
最近はやりの商店街の祭りのように、エコノミーの延長として街ぐるみで行われるといったこともない。
また外部から観光客が呼べるほど著名な祭りでもない。
いや、昔は町ぐるみの祭りだったのだろうが、地域社会の変貌とともに、かつての氏子制度もあまり機能せず、ほとんど中心メンバーのボランティアによって行われているようだ。
そして、昔は近郷近在から善男善女集まったのだが、近年の娯楽の多様化の中ではそれもままならない。
若い人には信じられないだろうが、昔は、いついつはどこそこの祭りなどとカレンダーに印を付け、それらを見物に行ったものである。
最後に本殿前で気勢を上げる神輿。元気な女性達
さて、私の出かけたお祭りの話に戻ろう。
先に、運営の苦労が忍ばれると言ったが、その労苦の成果は上がっていると思う。
私の子供の頃よりも、催しもいろいろ多彩で、写真で見て頂くようにカラフルなのだ。
カラオケ大会のような催しもあったが、それらはほんの一部で、神事や神楽舞い、御神輿、それに山車のカラクリ演技などが現代風にアレンジされていたり、わかりやすい解説付きのパフォーマンスになったりしているのだ。
名古屋は南区から応援に駆けつけた「猩々」保存会の人たち
もう一つは、他の地域との協力が見られ、たとえば、他地域の神輿が乗り込んだり、名古屋の南区からは、大男を模した「猩々」などが終日境内を往来し、子どもたちを追いかけたりして、その道化振りが人気を呼んでいた。
子どもたちの参加も微笑ましい。
神楽隊やお囃子組などで大活躍である。やはり祭りの子どもたちは活き活きと輝いている。
少年少女神楽隊の演舞
演舞を終えて楽しい会話
戦争にまつわる話が、山車の解説の中で出てきたのも印象的だった。
かつてこの町には、10基の山車があったのだが、その内の9基がすぐる大戦の空襲で灰燼に帰したという。それらの中には、残っていれば重文級のものもあったというからまことにもってもったいない話である。
真剣な面持ちでのお囃子、これに合わせてカラクリが。
ほんらいは山車の中で演奏する。
残った山車は、岐阜市の有形文化財で、カラクリの演技は無形文化財となっている。
この山車、鞍馬車といって、義経が鞍馬山の天狗に武術を習うというシーンを、お囃子と謡曲「鞍馬天狗」にのせて、人形達が演技をする。
長刀がクルクル回るシーンなどでは観客から思わず拍手が湧く。
山車・鞍馬車のカラクリ演技
私はかつて、商店街の祭りの実行委員長などつとめたことがあるので、これだけの催しを執り行う準備と苦労の厳しさはよく分かる。
だから、もっと多くの人がやってくればいいと思う。確かに神社は神道の場ではあるが、ここには靖国のように血なまぐさい神とは違う、地域に溶け込んだ伝統的な鎮守の神がいるのみである。
このおっさん、カラクリに合わせて義経のつもり。日本一面白い義経。
観光化した祭りでも、商店街の祭りでもなく、地域の祭りもなかなか捨てがたいと再評価しながら、来年もまた覗いてみようかなどと思っている。